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のほほん、ペンギンライフ。

介護をめぐる冒険。〈施設を探す話②〉

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ネットニュースで介護離職 施設入れる選択肢も】という記事が載っていました。最近よく、働き盛りの世代の介護についてのコラムや、エッセイや小説など介護関係の本を新聞や書店で目にします。子育てと介護が重なっている人、自身が病気、疾患を抱えながら介護をしている方、家族に病人と要介護者が複数いたり...それぞれの事情があるから、難しいんですね。以前、盛田隆二さんの『父よ、ロング・グッドバイ 男の介護日誌』を読んだ時にも思いました。

そして、介護で大変になるのは本人を相手にすることの他に、介護、医療関係のサービスや治療を受けたり制度を利用するための役所を含め各所への申請や契約手続き、サービス担当者会議など、平日の一定時間を取られることが多いことかなと。とはいえ、親の介護を通して、子育てしながら働く方や病気のご家族を支える方、ご自身が闘病しつつ周囲に頼れずにいる方のご苦労など想像してみたり、色々と自分の無関心や能天気さに気づく機会でもあるんですが...

 

先日、認知症の親御さんと二人暮らし(週に数時間を除き、ほぼ24時間介護で休職中)の知人から、徘徊やいろいろな行動で家の中と外の両方で大変な思いをしているという話を聞いて、「もうそれは、施設に預けるとか、せめてショートステイで何泊かしてもらって休むとか、ヘルパーさんに来てもらうとか、そういうのが必要なのでは?」と私が思わず言うと、「そんなの、本人は自分がしっかりしていると思っていて、施設に預けられるなんて納得するはずもないし、3時間のデイサービスに行くだけでも毎回拒んで大変なのに、どうやって施設に預けられるの」と返されて、もう何も言えませんでした。

「うちの事情を理解していない人に言われたくない」のは私も同じなので、そりゃそうだよなと。でも、徘徊で警察に連絡をしたり、家の中が荒れて大変な状態になっていても「本人が納得しないしどうやって説得するのか」という一点で現状維持しかないなんて、一体どうすれば...このままでは介護者の方が倒れてしまう...

そう心配したところで自分は外野なので。そう、友人や親戚や同居していない「きょうだい」も含めて当事者にとっては外野だと思うのですよね。

 

私の場合は、ずっとフリーで自宅で仕事をしていることもあり、いつも自由に動けるイメージを持たれて、家族や親戚や知人から、急に休む人の代わりに仕事関係のイベントに助っ人で呼ばれたり、本人が行けない葬儀や授賞式、学校行事等に代理出席を頼まれたり、思えば長年、平日動けるフリーだからと何かと頼まれてきたものですが、自分でも「なんで私ばかり〜」とは思いつつも、実際に時間には融通が利くので、ここ数年、親が病気になったり介護が必要になってからは当然のように、周囲から「あなたが支えてあげてね」「あなたが一緒に暮らして助けるんでしょ」と言われ、率先して受け入れてきたように思います。

 

取引先の多くは関東にあるのに、ネット環境があれば仕事は成立するので、地元に戻って親の介護をするようになってからも生活してこられたのは、自営業ならではなのですが、周囲の人の多くは「仕事って言っても趣味の延長で、今は親御さんの年金で暮らせるんでしょ」と思っておられて、フルで仕事していることを伝えると「えー、今もちゃんと仕事していたの、大変ねぇ」となんど驚かれたことか。

親が自営業で国民年金しか受け取っておらず、財産もなく、介護サービスや医療、交通費等でかかる費用は年金支給額を上回るので、年金に頼るどころか足りないっていう話なのに...

世間的に一見華やかな商売をしていたり、それなりの立場にある方でも、内情は交際費、事業資金等で経済的に苦しい、そんなご家庭は他にもあるのだな、と不思議とホッとしたのは井上理津子さんの『親を送る』を読んだ時でした。ちも、父が現役時代からの名誉職に関係して今でもお祝い事やお悔やみなど毎月のように出費があり、お金だけならともかく、私が代理出席したり本人を正装させて介護ヘルパーさんに同席いただくこともあったりして途方に暮れるのですが、そうこぼすと友人やきょうだいは「そんな付き合いは一切やめたらいいのに」と言ってくれますが、やはりそれは本人の人生の積み重ねをここで無には出来ないという気持ちと、葬儀の時に、花の一つでも供えてくれるかもしれない団体だからとか、弔電の一通でもくださるかも、などと、俗っぽい計算もあるかもしれません。

そうは言っても、徘徊で行方不明になった親御さんを探して走り回ったり、家の中が汚物で散らかされたりする状態で疲弊しておられる方の大変さを聞くにつれ、うちなんて、大変と言っても大したことないんだろうしなぁとも...

 

結局、周囲には個々のこみ入った事情が分からない以上、どうしようもないというか、何か良かれと思って言っても言われても気まずいことになるので、むしろ個人的に関係のない、ケアマネさんや医師、相談員の方になら何かと不都合なことも説明できるし、事務的で客観的なご意見の方が素直に聞けるのかなと。

 

今年二度目の入院の時に、父の主治医が認知症の進行の早さに驚き、「こんな状態なのにご自宅で過ごしておられたのですか」と頭を抱え、「施設など今後のことを考える時期が来ていると思います」と促されたのは、正直なところ、「客観的な診断」を受けたと自他共に認められる良い機会だと思いました。やはり私は、自分でもびっくりするほど、世間体(親関係の周囲の目)を気にしていたようです。

もう一つは、父本人が、「あ〜入院できて安心したぁ。楽だし快適だしよく寝られる。お医者さんがすぐそこにいるから安心だぁ」と、安堵していたことでした。必死に介護していたつもりでも、本人にとっては、やれ血圧を測れだの体重を測れだの、歯を磨いてとか、さぁ立ってズボンを着替えるから、などとある程度自力で動いてもらうようにしていたことが、本人には結構体力的にきつかったのかなと。

そして夜中にしんどくなった時に、娘が出来るのは医療行為には到底及ばないことだったので、自宅で苦しい時間を過ごすのは不安だったのだなと。

そう思うと、自宅で暮らすことが本人にとって最良だとは限らないのだなと気づけたのでした。

 

後で病院の資料などを見てわかったことですが、父の主治医が「急性期病院では長い間は診られないので、転院をして、その先には施設を見つけるように」と助言をされたのは、その先生個人のお考えというより、超高齢化社会の日本の医療・介護制度に関わる問題解決のため、政府が提案している〈地域包括ケアシステム〉に従ったものだったようです。

そんなわけで、主治医の勧めに同意すると、次に相談員さんから地域包括ケア病床がある病院を教えていただき、受け入れ許可が出次第転院して、そのあとの施設については迅速に探す、という運びになったのでした。

やはり、ドラスティックな決断には、個人を超えた目線の説得が必要なのかもしれません。介護で疲弊している知人にも、そんな説得がどこかの機関からあれば...

 

ところで、いざ施設を探す決断をしたところ、家庭の事情(経済状況、本人の状態、性格、性別なども)も含め、選択肢は結構狭く、さらに希望する施設への入所は数年待ちも当たり前という現状を知ることになって「ヒェ〜」と汗が出たのですが...それは次回に。