hanihostamp penguinblog

のほほん、ペンギンライフ。

介護に励む姉に捧ぐ。

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先日風邪で寝込んだ時に、咳が止まらず高熱に苦しんでいたせいか、なんとなく絶望的な気分になったわたしは、そんな気分に合いそうな一冊として、夏目漱石の『こころ』を久しぶりに布団の中で読み返したのでした。

すると、先生と下宿先のお嬢さんと親友との間の話という印象とはまったく違って、「先生」の謎めいた孤高の様子に惹かれ、その謎を探ろうとする主人公が、帰省して病気の父を見舞い、臨終が近づく数日間親族と過ごす中で「父なき後の実家や母を、きょうだいの誰が支えるのか」という現実問題にさらされ、兄や嫁いだ妹には今の暮らしがあり生活を変えるのはもはや無理だから、就職前の自由の身である「私」にそれを背負わされる空気が漂う、「両親と私」という二部にこんなに重心がかかっていたのかと驚きました。

ちょうどわたしが、姉とともに病気の両親をそばで見て、あるいは時に「看て」いるからかもしれませんが。

 

年末 に母が退院して、それからずっと体力が戻らず不調を訴え続け、三ヶ月先の予定だった経過観察や検査の予約を前倒しにして、早めに診察を受けたところ「問題無し、しんどいのは普通なので、あとひと月は徐々に回復するまでご飯をたくさん食べて頑張りましょう」と担当医に言われて帰宅して、安心したのも束の間、その翌日に今までの病気とは無縁のはずの脳梗塞になり、救急車で運ばれて入院したのでした。

前日に診察を受けていたのに…待ち時間や検査などで何時間もかかったのに…付き添った姉も、検査で長時間しんどい思いをした母も気の毒でしたが、脳梗塞だけは前もって分からないものなんですね。

 

同じ日、同じ時間、同じ病院で、わたしは父と循環器科を訪れていました。父も昨年入院した後の、9ヶ月後検診に向けての診察でした。やはり、この時点で一度カテーテル検査が必要だと説く医師に、その検査が恐怖だった父は(歯科医院のドリル?の音が嫌いな父には同種の怖さがあるらしい)平身低頭でねばってお願いして全力で拒否していました。

あまりにも父が低姿勢で(蛭子さんのような態度で)どうにか許してください…あれだけは…と言うので医師がとうとう「分かりました、では、アイソトープ検査にしましょうか。ただ、午前中から来ていただいて夕方遅くまでかかりますが」と仰ったのでした。

わたし、感心しちゃいました。医師がどうしても、と仰るものは必要なものかと思っていましたが、嫌な場合って、逃げ道があるんだなぁ、と。

以前、脚の手術が必要だと言われた際も父は全力で嫌がって断って、その後10数年経って、脚の痛みもないようなので…あの手術、受けてたらどうなっていたのかなぁと。

マイペース、鈍感力の父には色々と学ぶところがあります。

で、アイソトープ検査という最先端のものを体験できると知った父はご機嫌になり、「何時間でも大丈夫です、待つのはワタシ、平気なんです」と満面の笑みに…付き添うわたしがその日、仕事を中断して午前中から夕方まで空けることになるということには一切無頓着なんだよなぁ…と苦笑したものでした。

 

その翌日、前述の通り母が入院したわけなんですが、入院が決まるまで、救急車で運ばれてから検査を受ける間、待合室で何人か診察待ちの方と一緒に姉と二人、待機していて、そこにマスクをしないでひどく咳き込んでいる方がいて、「こわいねぇ」と(我々はマスク着用で)言っていたら、その晩から私は喉に違和感を覚え、翌日には咳がとまらずに熱も上がり、それから三日間は外出もできなかったのでした。その、熱が一番ひどい日に『こころ』を読んだのでした。

姉が新しい仕事先へ行き始めたところだったのに、通えなくなり断ることになり、入院した母関連で病院との連絡や実家に残った父の世話をひとりでしなければならないなんて申し訳ない…でもこの咳を姉にうつしたらエラいことになってしまう…悶々としながら『こころ』を呼んで、先生の自己完結する様子に苛立ちすら覚えたりしたのでした。 

 

わたしは結局、母が一般病棟へ移ってからもしばらく病院を訪れることも出来ず、実家に行って手伝うこともせずに、逆に寝ていた数日を取り戻すように仕事もしたせいで、一切を姉に任せて過ごしたのでした。

 

そして母が、奇跡的に後遺症もほぼなく無事に退院して、再発には気をつけつつ元通り日常生活が送れるとのことで、顔色も体調もよさそうだったので「ああ、ホッとしたね。まぁ何はともあれよかった」と夕食をともにして、その翌日は姉もわたしも仕事が出来て、この調子で徐々によくなってくれればと思ったのも束の間、退院2日後に母は体調を崩し、近所の先生に往診をお願いしたとの連絡を受けたのでした。

同じ日に、父が出先で体調を壊し、循環器科へ姉が連れて行き、長い時間待って検査をした結果、こんどは父が入院することになったのでした。一週間後にアイソトープ検査を受ける予定だったところだったのに…その前に倒れてしまうとは。

なんか、このところずっとずぅっと、病院を訪れているなぁ…もう去年からずっと。

二人とも、それも、ひとつの科ではなくていくつも。そして一軒ではなく何軒もの病院にお世話になっています。

両親とも、絶妙のタイミングで交互に、大きな病気→少し回復→大きな病気→結構大変→やや安定→急変、というループにはまっているような気がします。

 

ひとつ解決して安堵して、という安堵もわずか1〜2日で、長くても半月ほどしか穏やかな日が続かず、いつも突然の電話で実家や病院へ向かうことになる。

それでもわたしは体力がないのか、仕事が忙しいせいなのか、そして自転車にも乗らない徒歩行動のせいか、いつもすばやい動きをとるのはバイクに乗り短期派遣と自営の二足のワラジで働く行動的な姉の方なのです。

父が入院することになったその日、姉にとって、介護のためしばらく休職して復帰するための大事な面接の日(その直前にも決まっていた職場を母の入院でやめたのでその後見つけた先の)だったわけで…父に付き添うために、姉は面接を棒に振ったのです。

わたしはというと、往診を頼んだ母を見舞うために実家に向かったとは言え、締め切り当日だったので、2時間仕事をしてからという自分のペースで行動したわけで…

 

それにしても、不思議なことに、母の脳梗塞も、父の心臓の不具合も、原因や問題の箇所などは全く分からなかった。

分からないままに、生活習慣の改善なり、検査画像に一番あてはまるであろう薬の服用で様子をみる、ということで、また帰宅することになるのです。

 

不思議といえば、そんな状態なのに、兄が帰省すると、病人だったはずの母が布団も干して(指示を受けた姉が干すのですが)はりきってビールを用意して料理も腕を振るってもてなすそうなので…ふーん、世話をする係と王様扱いされるものと、その差って何。男女だけの差じゃないよなぁと、イラッとします。

もちろん、家族だからって世話をするのが当然なわけじゃないし、兄は会社員だし休めないし遠くに住んでいるんだから…とは思うんだけど私も姉もフルタイムで働かねばならない身で、私は親のために地元に戻って来たんだけれども。兄は友人がいるし地元を長く離れたからいまさら帰れないし、とか言うし。う〜ん。そんなことを考えるにつけ「こころ」の二部のことをつらつらと思い出すのであります。

 

この前久しぶりに姉が仕事の合間にわたしのブログを読んだそうで、そこにある家族の病気の話などで、「いろいろお互い大変だったねぇ」と思い出し、ねぎらってくれた。

 

今日のブログは姉のために書きました。とかいいつつ、自分の愚痴のはけ口にしちゃいました。

姉と温泉にでも行ける日が来るといいなと願うことは、ふと、縁起でもないことなのかもしれないと思いつつ、「あ、まぁ緊急時に1時間半くらいで帰れる場所なら行ってもいいか〜」と思い直しました。はは。

ずっとこんな状態なので、もし私の知り合いの方がこれを読んでも、どうか負担に思わないでください。ああ、また親御さん大変ね〜くらいで。見て見ぬ振り的なアレで…

プリーズ。

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