読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

hanihostamp penguinblog

のほほん、ペンギンライフ。

病院探し、迷宮?(3)

f:id:shijimi25:20150730183353p:plain

こんな続きを書くことになるとは。

 

ここしばらく、両手から腕にかけての痛みをかかえる身内のために病院を探し、来月あたまから鍼灸治療を本格的にはじめようと思っていた矢先。

以前から通院している地元の総合病院のリウマチ科の医師に、このほど鍼灸治療を受けはじめた、と伝えたところ、眉をひそめられたらしい。

 

先生が実際に「眉をひそめた」かどうかは、この目で見たわけじゃないので事実ではないものの、身内からの電話では、そんなニュアンスだったもので。

「私どもでは、この症状についてそのような治療は紹介もしませんし、特にご案内もしていません。そもそも、効果ありましたか。治療を受けられて痛みは少しでも消えました?」

そんなようなことを仰ったと。

伝聞なので大仰に再現されている可能性もあるんですが、それを聞いてわたしはてっきり、保険適用を断られたのだと思ったんですが。

整体や整骨院はコンビニと同じようにたくさん増えていて、医療機関とは言いがたい施設も中には…という現状から、簡単に保険適用の治療として同意できないのは理解できるし、膨らむ一方の社会保障費を抑えるため、国か自治体から大病院にもそのような通達が行っているのだろうと。まぁ、自営業のわたし自身、毎月の国保料負担がとてもキツいので、たとえ身内でも命に直接関わらない手の痛みの治療が保険適用にはならなくてもやむを得ないし、それもそうか、と思ったんですが。

そうではなくて、わたしの身内は「別に保険適用の同意書作成のお願いはしていなくて、痛みの改善のために通うことにした、とただ報告しただけ」だと。

理解を得ようと話したら、先生からあまりにはっきりと「効果はほぼ、ない」と言われてしまい、気持ちのやり場に困って、わたしに電話をかけてきたらしい。その日の診察では、追い打ちをかけるように、「血液検査で数値が少しもよくなっていないので、リウマチ用の薬の強めのものを出してもらった」とのこと。

「このまま手を使い過ぎたら、ますます酷くなりますよ」と言われてしまったとも。

 

ほほぉ。そう来たか。

 

リウマチ科でも整形外科でも、高度な技術のカテーテル治療でもお世話になって、にもかかわらず痛みが続くから、気休めでもいい、カウンセラーのように、あるいは占い師のように話をよく聞いて下さる鍼灸院にたどり着いたところなのに。

 

たとえば、連れ合いをなくして、長いこと一人でいたけれど、老いにさしかかり、ランチやお茶、散歩などを共にできる相手が欲しいと思って、ある人と付き合い出した途端、結婚する気などないのに、身内から「財産目当てかもしれない。素性の知れないひとだから危ない」などと反対されるような、あるいは、「きっと介護や家事要員くらいに思われてるだけ。苦労するだけよ」と助言された時の心境とはこんな感じだろうか。(ちょっと、飛躍しすぎ?)

 

同じ総合病院の癌の方でお世話になっている先生は、セカンドオピニオンを希望したときも、先生の立てた治療方針を断って別のクリニックを利用しながら経過だけは引き続き診てもらいたいというお願いにも、文句ひとつ言わず、否定的な言葉は一切なく、淡々と対応してくださった。終始、はげましや希望を持たせる予測は口にしないし、数値から見える事実以外の悪い話は一切しない。ぶっきらぼうだけれど、考えてみたらなんと有り難い対応をしてくださっていたのだろうか、と。だって、保険の効かない、個人クリニックで癌治療を受けることについて、「そんなところで治ると思いますか?もうこちらでは責任持てませんよ」なんて言われたら、気が重くなっていただろうし。先生はただ、「言われたことはしますが、こちらで治療方針は立てられないので、必要なことは言って下さい」と仰った。この先生はブレない。(同じ病院へ通う知人が、件の先生が無愛想すぎて信用できず主治医を替えてもらったそうなので、感想には個人差があるようですが)

 

病院を選ぶのは、患者自身であり、その身内でもありますが、最後はやはり、本人が何を選ぶか、何を望むかなんですね。どこにも希望がない場合には、その中でも「何を一番選びたくないか」を決断しないといけない。

普通は、何かを選ぶと何かを捨てないといけないんですが、がん治療で可能だったように、病気の場合、あちらもこちらも、可能ならば並行して関わる道を探したいものです。

たとえばリウマチの先生が鍼灸治療をよく思わないとしても、リウマチの薬は処方していただきたいし、血液検査をお願いしたいわけで…出来る限りのことはお世話になった方がよいのです。通いやすい、地元の病院で。

 

それにしても。言葉ひとつで痛みは和らぎもすれば、言葉ひとつで希望が簡単に打ち砕かれてしまうんですね。来月からお世話になる(かもしれない)鍼灸院では、どうか、少しでも希望が持てる会話をしてもらえますように。

 

 病院探しは、患者の心がどこへ向かおうとするか、何を求めるのか、治療法や医師をどこまで信じるか、目利きを問われている、ある種の修行道のような気もしてきました。

所詮、わたしはガイド役であり付添人。自分の感情にまかせぬようにせねば。

広告を非表示にする