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hanihostamp penguinblog

のほほん、ペンギンライフ。

無敵、のほほんライフ。

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先日、姉が知り合って間もない、でも、ゆくゆくはいい友人になれそうな「感じのいいひと」に誘われて、何かのイベントだと聞いていたのに着いたのは宗教団体の施設で、そこで勧誘を受けたとのこと。

連れてゆかれた地名、施設の雰囲気、催しの内容を聞いて、思わず「あっ、それ私が大学生の時に行ったとこと同じ!」と声を上げてしまいました。

受付嬢が美人ぞろいなところも同じ。

勧誘というより、悩み相談のような形式で進行する対話という感じなのですが、姉は「そこで出会った見ず知らずのひとたちに相談したいようなことが何もない」らしく、気のない適当な相づちしかしなかったところ、対面した係の人は「見込み無し」と判断したのか、明らかにその場は白けてしまい、その後、勧誘してくれた人との微妙な気まずさだけが残ったそうで、そういうところも、わたしも同じ。

ふたりとも、「流されやすそう」に見えてカモにされたのか、顔色が悪く人生に苦労しているのかと心配して声をかけてもらったのかは分かりませんが。

わたしの場合も、姉のことも、どちらも誘ってくれたひとは、どこから見ても「いい人」で、入信を断った後も表面上は態度を変えないところを見ると、悪気はなかっただろうし、そこで救われるひとがいるならそれで、とは思うものの…う〜ん。勧誘する相手が悪かったとしか…

 

そういえば、友人知人に、信仰生活をしている人が多いのが母です。いろんなタイプの宗教を信仰している方がいるようですが、入信を勧める方はほとんどいないとか。

そんな中、おひとりだけ熱心な方がいるそうで。

というのも、かつて父は仕事で、某宗教施設の神聖なホールの一部の美術に関わったことがあって、そちらに入会されている方が、たまたま母の知り合いだったと。

その方は熱心な信者さんで、位?も高いらしく、「ご主人の描かれた絵の前に立つと、心が洗われるんですよ。あなたも、ご主人がせっかく美術を担当されたのですから、一度ぜひ見学して心を穏やかに保てば元気になれるはず」とすすめて下さるのだとか。

百歩譲って、父が描いたものでない「ありがたい」絵だったならば、母は見に行ったかもしれないんですが…父が神聖な気持ちなど一切持たず、単に仕事として描いたのが分かってしまっているので。

もともと、信者さんの中から絵を描く仕事の人を選んで依頼すると差し障りがあるから、という配慮から信者ではない父にお声がかかったところに、その団体のまっとうさは素人目にも伝わって来るんですが、空気を読まない父(蛭子能収さんのような態度と言えば伝わるでしょうか…)はもちろん、母も、そこの教えを勉強しようかとか、集会やイベントに参加してみようか、という真摯さというのか、思いつきすらなかったようで…

大丈夫なのでしょうか、そんな人に描かせたものを信仰の場に用いて…

まぁ、最近、観光地として有名なお寺の多くで、国宝のほど近くに「開運ストラップ販売中」などの貼り紙があったり、マンション内覧会の看板と似た様子の「秘仏公開中!」と矢印が大きく描かれた看板を見たり、権威ある寺社のおみくじ売り場が東急ハンズ風(バラエティー豊か)になっていたりするのを目にすると鼻白むので…信仰の場所に俗っぽいニュアンスが混在しているのはよくある光景かもしれませんが。

 

以前、母が「そろそろお墓のことを考えたい。でも、遠い所にお墓を買っても大変だろうし、共同納骨してもらえるお寺がいい」とのことで、希望を聞くと「駅前の、あそこか、もしくは坂の上のあのお寺がいい」と。有名寺院を挙げたのでした。

「それって、どちらも自分のところの宗派じゃないけどいいの?」

「うん、別にそれはいい」と。いえ、気持ちの面ではなく「大丈夫なのか」という意味だったのですが…

「皆にお参りしてもらうのに、交通の便がよくて季節ごとにきれいな花が見られるところがいいし」

「う〜ん、わたしは法事で般若心経を読み上げられるとこ(もとの宗派)がいいけどなぁ。ぎゃーてーぎゃーてー、っての好きだから」

結局、わたしの希望は通らず、有名寺院へ行き、そこで母は「こちらと、もう一カ所どこそこのお寺さんでお話聞く予定なのですが」とわざわざ告げて、窓口の方に「うちはそことは一切関係ありません!ただ、観光客の方がよく場所をお尋ねになるのでやむを得ず案内地図は置いていますからどうぞ」と…明らかに気分を害されたことで、両者の不仲を知る体験になりました。そして、申し出にも冷ややかな目で(図々しい申し出だから当然ですが)、「まずご近所でうちの関係のお寺を探してそちらの檀家になってから云々」と言われたのでした。

もう一方のお寺では、穏やかに「葬儀の際、葬儀場の方にお願いして、うちと同じ宗派のお寺さんに来てもらって、初七日法要までしていただいたら、うちで納骨もその後の法要もします」とのお答えでした。ふたつのお寺の態度の違いから、仲が悪い理由が、なんとなく分かったような…

「お母さん、優しかった方のお寺でお世話になるのがいいね」と、その時は口にしたものの、当事者の母もわたしも、ふたつ行ったうちのどちらのお寺が、葬儀の際だけお世話になったら(准)檀家扱いしてもらえる、というシステムだったのか、すっかり忘れてしまいました。ほら、二人でいて道を尋ねて、お互い「相手が聞いてくれているだろう」と思う、あの感じ。

それ以降、母は、超有名寺院の納骨の話をしなくなりまして。諦めたというより、面倒くさいんだと思うなぁ。

 

ところで、父が先日、緊急入院まして。搬送される途中、以前心臓の症状で病院にかかったのはいつか、と隊員に問われ、「え〜っと、脳の方じゃなくて心臓はいつだっけ…」と付き添う姉が記憶を掘り起こすのに苦労していたら、背後で目をつぶり横になったままの父から「2年前です」との声。

すかさず、隊員が高らかに、「意識レベル、クリア」と仰ったと。

姉からその話を聞いて印象的だったので、冒頭の絵になりました。

カテーテル検査と治療を済ませ、ICUのベッドに横になる父は、終始、目を閉じたままで苦悶の表情のため、やっぱり心臓を患うと苦しいのかなぁと思っていたのですが、医師から「検査で狭窄が見つかった血管を広げたので、もう安心です、明日には帰っていただけますし身体も動かしてください」と言われると、それを聞いた父は「ああ、ホッとした。どう言われるか怖かったからよかったです」とようやく顔をほころばせたのでした。

苦悶の顔は、「自分の病状が心配で、怖いことを先生に宣告されたらと思っていた」ためだったようで。

歯科医院の待合室で治療を待つ間の、どうしようこわいよ〜っていう子どもと同じ状態だったわけですね。

でも、こないだまで死にたいって言っていたじゃないお父さん、まだ生きる気満々じゃないの、とはさすがに突っ込めず…

無事退院しました。

父と母のことは、ある程度分かっていたのですが、今回宗教施設から戻った姉を見ていて、そして、自分のことも振り返り…なんとも情緒のない「のほほんライフ」、だなぁと思いました。

 

追伸:就職活動中の甥が、合同説明会で大量にパンフレットをもらってきた会社のうち、就職するつもりはないけれど担当者から「来い」と言われたから行かないといけない、と、改めて会社での説明会に参加して来るというので、「え、なんで。行く気のない会社をなぜ訪問するの」と問うと、「でも、その場で『これには来てください』と言われて約束したから」と。

「おかしくない?そこに就職する気がないのに、言われたからって気を遣って行くなんて。断りの電話入れて行くのやめた方がいいよ。就職を断れない空気になってもアレだし、後で断ることで先方にも迷惑かけても…。あと、万一行ったとしても、その日、書類にサインを求めて来ても署名したらダメよ〜」と、おっとり真面目な甥にくどくど説明したのでした。断りの電話を入れることは出来たでしょうか…

それを見て思い出したのは、かつての自分の姿。

その昔は姉もわたしも、真面目、素直というか、宗教に限らず仕事関係でも友人関係でも気持ちに沿わない約束をして自分を追い込んで、最後逃げる、ということが星の数ほどあったのでした。

そしてあまりにもたくさん不愉快な思いをしたり相手に失礼なことをして、そして今、「のほほん」に至るのでした。のほほん、も一日にしてならず、なのでした。

 

*イラストで父が熊になっているのは、以前の記事「熊の暮らし」をご覧くださいませ。

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