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hanihostamp penguinblog

のほほん、ペンギンライフ。

良いお医者さんの話。(2)

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父にとって、よい歯医者さんは、行ったら即、一回こっきりで治してくれる先生だそうで、そういえば昔、父が好んで通っていたのは、近所で「ヤブ医者」と囁かれ、何でもかんでも削ってしまう(という噂の)先生のところでした。父によると、ドリルの音が響く待合室でドキドキするのが怖い、次はどんな治療をするか憂鬱とのことで、要するに治療や虫歯そのものの痛みより、何が起るかどうなるのか分からない、不安が増幅する状態に置かれるのが何よりも嫌なんですね。

よいお医者さんとは、どんな人物だろうかという話をこうして書こうとしているのは、わたしが最近、『JIN−仁』という漫画を全巻読んだから、というだけでなくて、実際にそれに気づかされる場面があったからでして。

身近なところで、こんな出来事がありました。(患者はわたしではありません)

 

以前患って治療済みの箇所を、3ヶ月おきに経過観察していたところ、ある時、急激に癌がひろがっていて、もはや手術で取りきれる状態ではないと判明。

医師の見立てによると、まず抗がん剤で小さくなるかどうか試みて、もし小さくなったら手術。といっても、悪い箇所だけを取り除くことは不可能で、密接に関わる臓器をいくつか摘出することになる。その結果、生活に不自由が出ることにはなるが、その手術が完了するところまで運ぶことが、最良の着地点である、というものでした。

 

しかし、と、医師は画像を見ながら長い間を置き、こう加えたのです。

現時点で、手術にこぎ着けるかどうかは微妙で、抗がん剤で小さくすることが出来ない場合は、放射線治療を併用することになり、それでも効果がなかった場合や体力が落ちた場合には、あらためて方針を立て直すことになる。いずれにしても、すぐにでも入院、治療が必要なので今日ベッドが空いたら入院する形でよいですか、と。

 

よいですか…も何も、選択の余地があるのかどうかさえ当人には分からず、そのまま荷物を取りに帰って即入院に。

ちなみに、医師から一通りの説明のあと、「何か質問は」ときかれ、例えば悪い方の予測での余命について、あるいは投薬で効果がなかった場合の行く末について患者が問うたところ、「それは分かりません」「やってみないと何とも」とのお返事。「まぁ、いずれにしても厳しい状況です」ということだけははっきりと…

患者の心に去来するのは、どのように転んでもハッピーエンドではない治療だということ。当たりくじがひとつもない、罰ゲームだらけのくじを引かされる気分だったらしい。

  

結局、先の見えない治療に不安を抱いた当人とその家族は、抗がん剤投与の一回目を終えて一時帰宅する際、担当医にセカンドオピニオンを希望する旨を伝えて、画像や経過についての書類を作成してもらうよう頼んだのでした。

「いいですよ。そういう方は結構多いですし」と医師。若くてクールな先生は、その点でも態度を変えない潔さがあったのでした。

即日で紹介状と画像を用意してもらえたため、そのスピーディーさに、患者当人も家族も「なんだかんだ、やはりあの先生は良い先生だわ」と口にするのでした。

そう、患者は先生のことを、「いい(ところがある)先生」だと評することが、深刻な事態になってから増えたのでした。MRI検査を受けるとき出勤日じゃないのに検査室の前まで来て案じてくれた、とか、点滴中、様子を見に何度も病室を覗いてくれた、云々。

よい先生なのに、もともとぶっきらぼうで本来の優しさが伝わりづらい、損な性格でいらっしゃる(と解釈)上に、外来対応などで忙しいから満足に対話ができない状態で、治療や今後についての不安がふくらんだのは、先生のせいではないんだけれどもね、と。

 

遠方に暮らす家族は、「担当医がいい先生だとあれだけ言っていたのに、どうしてわざわざ別の医者に診てもらおうとするのか」と、セカンドオピニオンに納得できない様子でした。

言葉は難しいもので、信じたい、不安を打ち消したいあまり、「いい先生」だと先生をかばううちに実像とかけ離れて伝聞されるズレというか。「いい人」と「命をあずけるほど信頼できる人」との間には、かなり開きがあるわけで… 

いずれにしても、本人にとっては唯一無二の人生の重要局面でも、医師にとっては患者総数分の1症例、1患者でしかないですし、それはある種当然のギャップかなぁ、とは。

 

一方、セカンドオピニオンとして、以前から本を読んで知っていた標準治療ではない自由診療のクリニックを訪問して、画像を見てもらいながら診察を受けたときのこと。

医師は、担当医からの紹介状や画像で症状や経過については把握した上で、患者本人に、日常生活や家族構成、本人がどのように暮らしたいか、などを仔細に質問されたのでした。

そうして、最後に先生は「お話うかがって、この先手術を受けて臓器をいくつも失うと、体力を奪われて生活に支障が出たり、その後再発したらまた治療して…という生活が続くとしんどいでしょうし、もう、点滴による全身抗がん剤治療と手術はやめて、温存したまま小さくするように持って行く治療にしませんか」と方針を示されたのでした。

患者本人は「治るのか治らないのか」の2択か「いつまで生きられるのか」の数字を求めてその場にいるのですが、医師は「それには答えられる状態ではない」としつつ、「どのようにしたら暮らしが穏やかで快適か」の〈数値化できない価値〉(QOL)の提供を保証してくださったのです。

二人の医師と患者の間には、いずれにしても治療を挟んで、需要と供給で色んな意味でズレがあるとは思うのですが、当人の気持ちになったらそれは仕方のないことだとして、それでもセカンドオピニオンを機に「人生とは何ぞや」「生きるとは何ぞや」という地点に立って考える機会を持てたのは、とても大きなことだなぁと思うのです。

 

わたしが思うに、二人の先生はどちらも「いい先生」だとして、元々の担当医は、癌を小さくすること、癌を治療することを重視されて、患者自身よりも「癌」を見ていらっしゃる印象を受けたこと。だから術後の日常生活のイメージが先生にはなく、術後体力が落ちて命が短くなっても、癌を取ることは出来たのだから、とお考えかもしれない。

一方で、セカンドの医師は、癌を徹底的に治して患者の命を数ヶ月〜数年長らえることよりも、癌を温存させつつコントロールすることで、「今」、患者の日常生活が治療しながらでも穏やかで少しでも楽であること、普通に近い形で過ごせること、を重視されているのだろうな、と。だから、確実なことは言ってもらえないけれども、入院するより楽であること、現状での標準治療より快適に過ごせることを教えてはくださる。

そこを理解すれば、本人が何を望むかによって変わって来るので、今回でいえば、本人が先の見えない治療に不安を覚えて眠れぬ夜を過ごして辛かったことを思えば、後者を選択した方がよいのではないかと。とはいえ、自由診療なので金銭面の負担も大きく、際限なくは治療を受けられないので、元の担当医にもお世話になりながら、そのバランスを見つけて行くしかない、と。

癌と闘うか、手をつなぎながら相手の様子を見つつなだめつつ過ごすのか、という病気とのつき合い方の話から、わたしは唐突に、八岐大蛇や祇園祭でも鎮魂される「祟り神」のことを想起しまして。

癌は恐ろしいものではあるけれども、どうにもならないのならばその場で祀る(静かに居てもらう)のはどうだろうか、と。そういう話のような…

しかも、セカンドの先生は、「癌があっても、生きて行けますよ」という言葉をくださったのでした。

いい人かどうかはこの際関係なく、そこはかとない希望の光を与えてくれる言葉をかけてもらえることは、治療以前の、腹痛に手を添えて念じると楽になる系の出来事かもしれません。わたしも持病を診てもらっている医師の、治療ではない+αの、腹痛に添えられる手のような言葉、態度の部分を頼っている節があるので。

けれどもそれは病を治す大事な一歩で、かつ、最後の手だてでもあるのではないかと。

漫画、JINでもそう思わせることが、いくつもエピソードとして登場するのです。

抗がん剤よりも効くから、と、食生活の指導を受けたのも、JIN的な出来事(南方仁先生は、外科医でありながら、時に食事療法を指導したり、死が迫っていても生き甲斐を持たせようとするなど患者をあらゆる方面で支えようとした)でした。

癌が好む糖分や塩分を控えて、炎症を抑えるような食生活に変えてゆくこと。それが、冒頭のイラストにあるような、和食への転換のアドバイスでした。

JINを読んでいても思ったのですが、医師は患者の心までは踏み込めないわけで、でも、患者の心に灯りがポッと灯ったら、それは、治るかどうかだけではなく、見守る周囲の心にも光が差すことにつながるし、ほんのわずかでも何かがよくなる瞬間があると、ひとは救われるんだなぁと。

ああ、JIN、全巻買ってよかった。作中の話をしても周囲のひとから「貸して〜読みたい〜」という声があがらないんですが。紹介の仕方が下手なのか…

しかし、患者当人やわたしが、現実に起ったセカンドオピニオンの話をすると、聞いた人はその先生のご著書を読もうとされるので、なんとも不思議…患者当人は、広告塔のように、自分の置かれた立場と治療内容を語るのですが、あまりに「奇跡的にすごい先生!」と絶賛するので、「もともと癌なんてなかったんじゃないの?」と呆れられる程…

まぁ、最初のクールすぎる担当医の方のことを「いい人」と評する方式?でいえば、2番目の、心強い言葉をくれる先生のことは「奇跡!ブラックジャックみたい!」という表現になってもまぁ、大げさの度合い的にはちょうどよいのかもしれませんが。

 

さて。今日、プロバイダを変更しようと回線工事を行ったものの、設定がうまくいかず、付属のCDも対応しておらず、手動設定をするにもパスワード等も出て来ず、ネットがつながらず、数時間パニックになってしまいましたが、病気を抱えて日常が続かないとショックを受けるひとの動揺とは、これの何百倍、何千倍なのだろうと想像すると、第三者が病人を心配するのも治療に口を挟むのも、無責任なもんだなぁと、我ながら情けない。

でも、自分の身の上に起ったわけではないとしても、相談を受けたり付き添う中で、いろいろ考える機会にもなったので、書いて整理してみました。

この件、いずれまた、機会があれば。

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