hanihostamp penguinblog

のほほん、ペンギンライフ。

ご迷惑をおかけしております。

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ご近所問題って、一戸建てに限らず、集合住宅でも色々複雑なんですね。分譲だと気軽に引っ越すわけにもいかないので、尚更。

 

上の10個の長方形は、集合住宅一階部分の10戸を表したもので、右から4軒目、「Here」と書かれた黄色いスペースが、Y夫妻の住まいです。仮に知人としておきます。

 

Y夫人は、明るく気取らない性格で、マンション内に顔見知りが多い。

かつて接客業をしていた関係からか、人の顔を覚えるのが得意で、スーパーや病院で顔を合わせては、住人らと次々に会話をして、各家庭の事情を知ることができるらしい。

完璧に見えるご家庭にも何かが必ずある。というより、世間話として自慢をしづらい場面では、誰しも「何々で困っていて〜トホホですわ」と言いがちなのだが、それはともかく、よそ様の事情を知ることで、Y夫人は「みんなも随分苦労しているんだなぁ」と思い、自分の悩みや境遇、お金や将来への不安を軽減しているらしい。本人は認めないが、他人のプチ不幸が大好物なところ、話に食いつく様子は徹子の部屋の黒柳さんみたい…あまりに無邪気なので相手は警戒しないで話してしまうようだ。世間話が苦手なわたしには想像もできないけれど、Y夫人の仕入れた話につい、聞き耳を立てるワタシも徹子状態か。

 

管理人さんが常駐で、いつも数人のスタッフが敷地内の隅々まで清掃している、手入れの行き届いた快適な巨大マンション。スタイリッシュではないし老朽化しているが、改修工事なども行われ見た目にはきれいで、なにより交通の便がよく、住人の定着率も高い一方で一旦売りに出されると早めに売れるので、人の入れ替わりも適度にある、そんなマンション。上の10戸は、その一角にある「庭付き住戸」の並びです。

 

黄色い部屋のY夫人は、ガーデニングが趣味で、庭で季節の花や野菜作りを楽しんでいる。屋根つきのベランダ部分は雨でもほとんど、洗濯物が濡れないところもお気に入り。

庭の向こうは、金網越しにマンション側が設置した、外からの目線を遮る植え込みを挟んできれいに刈られた共用庭の芝生が広がり、室内からの景色は一見、高原のよう…(実際はお向かいの棟の玄関が奥に見えるのだが)という恵まれた環境であった。

 

が、この数ヶ月、庭の隅に、あるいは洗濯物の付近に猫の糞が残されることが増えたという。

「隣の奥さんが、いつも庭で野良猫に餌をやっているから」だそうで、猫は餌をくれる家の隣をトイレに決めて、通行がてら用を足すらしい。

始めの頃は、隣の奥さんにスーパーで会っても、にこやかに挨拶をする彼女に猫の件を言い出せなかったが、ある日、キャットフードを抱えてスーパーから帰って来る隣人を見かけて、さすがにたまりかねて声をかけた。

「奥さん、猫に餌をやるなら、家の中で飼ってもらえない?お宅で餌を食べたあと、いつも猫がうちの庭で糞やおしっこをしていくのよ。臭いがすごくて。夏場で窓を開けていたら強烈なの。このあいだは座布団の上にされて…」

というようなことを、できるだけソフトに伝えたところ、

「あらぁ、でもね、一階の誰々さんも餌をあげているし、猫好きなひとはこの辺り多いのよ。奥さんも餌をあげたら可愛いわよ。一緒にどう?」

むしろ、「猫サークルへの勧誘」をされたそうだ。

その後、何度か顔を合わせる度に、それとなく抗議するも、「ウチでは飼えないので、ごめんなさい。でも猫を守ってあげたいから。でも、ご迷惑なのは申し訳ないし、せめて今買っているキャットフードがなくなるまではあげさせてください。なくなったらやめるから」

そう約束はしてくれたものの、「でも猫はかわいいから奥さんも餌をあげてみて」と誘われて終わるのだとか。

管理人さんに告げるも、「困りましたねぇ。よほど大変な事態になったら、こちらからお話をしてみます」とのお返事。そもそも、ノラ猫以前に、ペット禁止の敷地内では、多くの人が大小様々な犬を散歩させている。禁止してもすでに飼っているものはどうにもならないので、ある時自治会の会議で、「一代限り、ペット飼育は容認」の措置がとられたという。あるいは、「ベランダに、非常経路をふさぐような家具、荷物等を置くのは禁止」されているにもかかわらず、もう何年も、何十年も、L時型の広いベランダに、箪笥や置物がびっしり並んでいるお宅もあるが、何度注意しても撤去されないという。

しかし、夏祭りのフィナーレ、盆踊りの音がうるさいとの苦情があり、今年の夏はごく小さな音量で曲を流したというから、苦情を言う派と、自分の思いを貫く派は、物事によって、勢力が違うらしい。犬猫を可愛がる勢力が強いそのマンションでは、糞害は庭のある一階の一部に限られるから、さらに少数派なのだ。

 

それからまたひと月ほど経過。

相変わらず、数日に一度、猫に庭をトイレ利用されていたY夫人は、「他に被害にあっているひとはいないか」と思い立ち、通路で顔を合わせた、上の図の左から2軒目、グレーの家の住人に尋ねてみた。

「うちも!お隣が餌をやっているから、うちの庭で糞をされるの。それでこの前、インターフォン鳴らして『困っています』と伝えて、謝ってはもらえたんだけど、それで収まるかどうか…」とのこと。

その後、しばらくしてY夫人のもとへ、件の、左から3軒目の住人(餌やりをしていた方)が訪ねて来た。

「お宅にも猫が糞をしていたようで、失礼しました」と菓子折りを渡された。

「いえ、そんなことしてもらっても…」とY夫人。

「ところで、聞いて欲しい話が。うちは確かに猫の件でご迷惑をかけましたが、でも、お隣さん、夜にしょっちゅう、家族でひどい喧嘩をされていて、その声や激しい物音が響いてすごく怖くて。いつ事件に巻き込まれるんじゃないかと不安なんです。Yさん、あちらと親しいご様子なので、なにかご存知なら教えていただけないでしょうか」と、相談されたのだった。

「いや、特別親しいわけでは…うちには事情は分からないので、よほどの場合は管理人さんに言うしかないでしょうね」としか言えなかった。Y夫人は本人から相談を受けていたので家庭の事情は知っていたが、その隣人に告げるわけにはいかず、また口にしたところで解決はしないはずだった。

 

 別の日。Y夫人は、ご近所の、また別のお宅の状況を知ろうと、左隣(図の紫の家)の住人と顔を合わせたタイミングで尋ねてみた。

「お宅の庭やベランダには、猫の糞されてません?」

すると、「それよりお隣の庭が荒れ放題で、そこで蚊が大量に発生してうちの方に飛んで来るんです。草自体もうちの庭に網越しにのびて来るし、庭が荒れているから子どもたちがペットボトルやゴミを放り投げていくんですよ。何度か手入れするようにお願いしたり、マンションの庭木剪定の職人さんに声かけたらどうかしらと言っても、聞き入れてくれなくて。どうしたらいいやら、困ってしまって」という話がかえってきたという。

しかし、その「困った庭」(緑のストライプのお宅)の住人からは、「隣(紫の家)の住人が、いつも楽器の練習をしていて、その音がずっと気になっていて」と聞かされていたY夫人。

 

「穏やかに見えるこのマンションにも、色んな人がいるものよ」と、遠い目(しかしどこか嬉しげ?)のY夫人なのですが…わたしはふと、頷くのをやめて首をかしげる。

ちょっと待った。

Y夫人の悩みは、猫の糞より、もっと深刻なものがあったのではなかったっけ。

深夜にねずみが出て、食品の袋に穴を開けられたり中味が散らばったり。食品を隠すと今度は石けんをかじられたり、朝起きて飲む予定だった薬をテーブルから袋ごと持ち去られたり。対策をするとしばらくナリをひそめるものの、忘れた頃に出没して部屋を物色されるので、うんざりするし対策(追い出すための)用品などの実費もばかにならないのだとか。

猫を一番飼うべきは、Y宅なのでは?

もしくは、野良猫を家に招いて、おトイレも設置しておいた上で、餌を食べてもらいつつ一晩くらい泊まってもらって、室内をパトロールしてもらえば、直接どうこうしなくても、猫のニオイがあればネズミ一家も引っ越してくれるのではないだろうか。

 

 さて。Y夫妻のマンションのご近所問題の件を聞き、また、それぞれ家庭の事情やらというのも聞いた上で、「誰しもいろいろあるんだなぁ」と思った次第。 

 しかし結論として、「どこの家も、近所の行動になんらかの迷惑をうけていて、また反対に、自分の行動も知らぬ間に近所に迷惑をかけているのかもな」ということが分かったのでした。

そう、Y家の夫は、休日に大音量で窓を全開の状態で、カラオケの練習をしているのです。マイクは使っていないにしても、よく響く声で。

ともあれ、皆が不満や困りごとを腹にためずに言い合える間は、なんだかんだやり過ごせるのでは、と思ったり。こんなご近所事情なら何か異変があったときには誰かが気づいてくれるだろうなと、頼もしく思えたり。いや、住めるかと言われたら遠慮したいような気もしますが、いっそすべてをさらけ出して人目を気にしなければ…安全快適?

 

さて。この話を聞いた日、その日Y家の隣の「猫餌奥さん」に何度目かのソフト抗議をしたところ、奥さんはこう仰ったとか。

「今日で餌をあげるのは最後にしますから、どうか今日だけは許して。今日で最後だから、ねっ」と。

「これで猫問題は解決したわ〜」とY夫人。晴れ晴れした笑顔なんだけれども。

え、そうなのかなぁ…人が良いのか呑気なのか。なかなかどうして、隣のご夫人はツワモノだな。

 

*猫の餌やり問題が浮上した背景には、マンションの所在地にほど近い空き地に有志が設置していた猫のための小屋が、ある時地権者?により撤去されたことで、猫が子育てなどをする場所に困り、マンションのベランダや床下へ入るようになったらしい。それまでは、猫たちは穏やかに暮らし、有志が世話することで住人との距離も保てていたのに、それが崩れてしまったようです。

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病院探し。(4)

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東京五輪のエンブレムデザイン発表後の、類似デザイン云々の件。「おっ」と身を乗り出してしまった。

今年前半にヒットして、わたしも好きなMark Ronsonの“Uptown Funk”に、The Gap Bandの79年ヒット曲“Oops Upside Your Head”を引用しているとの主張があり、訴訟になる前にマーク側がこれを認めて、曲のクレジットにバンドメンバーやプロデューサーなど作者5名が、“Uptown Funk”のクレジットに加えられることになった(ロイヤリティーが分配される)というニュースをラジオで聴いたのが数ヶ月前。2つの曲を聴き比べたものの、え?これで「引用」になったら世間に出回ってる曲の多くがオリジナルじゃなくなるんじゃないかと。他にもヒット曲に対して「引用」訴訟で多額の賠償命令が下った例や、裁判に至る前に和解した例など、どうも、訴えられた側が気の毒になる話だなと。創作・表現者にとって受難の時代になりつつあるのかな…などと思ったものでした。

わたしなんて、デザインの仕事でどれだけ売れ筋の人気デザインを「参考」にしてきたか…「この雰囲気で、とはお願いしましたが、ちょっと似過ぎたので、もう少し変えてください」と言われたりして。唯一無二であると証明する必要があるロゴマークのような世界は、大変そうです。シンプルだから何にも似ないというのも難しそうで。

〈追記〉これを書いた時点では知らなかったのですが、その後、この問題は色々あって…驚きもありつつ、色々複雑です。

 

とはいえ、今回のエンブレムは、その騒動より、気になるのは、これまで出て来た五輪関係のデザインとの、関連性(一貫性)のなさではないのかな…

新国立競技場の建物も、ボランティア用のポップなユニフォームも、くだんの和風エンブレムも、方向性がバラバラな気がする。招致用の桜のデザインはいずこへ…

思い出したのは、文部科学省の建物の入り口にある、文化庁文部科学省、日本ユネスコ国内委員会、の三枚の看板。お役所がからむと統一感がなくなるものなんだろうか。それぞれ著名人による揮毫で、一点ずつ見たらそれぞれ成立するのに、並べるとバラバラ…

五輪のデザイン関係も、それぞれ横の連携がないまま公募、選定を進めたんでしょうか。

 

病気をいくつも抱えた身内の通院につき合っていると、大きな病院での各科での診療も、そういう縦割りのところあるなぁ、と思うわけです。どの先生も、原因不明の痛みについて、改善しないなら薬を強くしますだとか、より精密な検査をしますだとか仰って(もちろん、それは患者の苦痛を除くためにではあるが)、検査、投薬、検査、投薬。これを数カ所で同時並行(でもアプローチはバラバラ?)していて、このままでよいのだろうか。

 

手の痛みであちこちの科や病院をさまよう身内につき合って、地元の鍼灸院での治療が始まりました。

前の治療院とは雰囲気が違い、ダイエット(耳の鍼)コースがあったり、「暑いので帰りのタクシー呼んでくださる」と仰る患者さんがいたり、なにやら華やか。

流派(?)も違うらしく、鍼とお灸のやり方、箇所など多少変化があったようですが、話もよく聞いてくださるし、本人は満足の様子。

新しい先生によると、「ひとつの可能性として、ストレスで気がうまく流れずに痛みとして出ているのかも」とのこと。

「緊張をほぐして全体の気をうまく流すように」(カーテン越しに聞いていたので、「気」だか「血」だか定かではないが)、と副交感神経(リラックスする)を優位にする治療をしてくださったようです。

 

この、ストレス原因説は、付添人のわたしにも新鮮に響きました。

痛みの原因がMRIなどの画像でも、血液検査でも分からない今、「診断」は、「推理」の段階に来ているのだと思い知る場面でもありました。

 

 先日、地元の総合病院のリウマチ科の医師も、「外部の民間療法で治療を受けること」には嫌悪感を示しておられたものの、ひとつの推理を提示してくださったそうです。

「何をやっても効かないということは、抗がん剤の副作用で痛いのかもしれない」ということ。これは痛みの出始めた時期から考えて、可能性アリかも。

 

  さらに、別の日、整形外科を受診して、鍼灸院へ通い出した話を懲りずに伝えたところ(踏み絵のように、医師の態度を知るために、あえて話したとか)、その先生は「個人的には、少しでも楽になっているのであれば、鍼灸治療を続けていただきたいです」と背中を押してくださったとか。

そして、あらたに、原因不明の痛みを訴える患者さんには出しているという、副作用アリの痛みを抑える薬を追加してもらえたらしいのだけれど、それは果たして良いやら悪いやら。

 

だって、リウマチでも整形外科でも結構強めの薬を出してもらって、鍼灸院にもしばらく週に二回ほど集中して通って…で、例えばひと月後、痛みが軽減したら「どれで成果が出た」のか、分からないではないか。

治って欲しいのはやまやまなのですが…推理ゲームならば、せめて正解がどれか知りたい。付添人としての、唯一のささやかな希望。

 

そうして、ここへ来て浮上したのが治療費の件。

鍼灸治療はだいたい、一回4,000〜4,500円が相場なんでしょうか。通い慣れたひとに聞くと「そんなもんよ〜」とのこと。

今後お世話になる治療院では、当面は週二回の通院が望ましいとか。

がん治療で大金を使っていることもあり、患者本人はできれば鍼灸治療は、保険適用の料金で受けたいようなのですが…

今回知ったのは、地域(都道府県)によって保険適用にも色々と差があるようで、隣の県の治療院では、例えば、自由診療の場合、一般4,000円 70才〜2,900円程度で、保険適用の場合、自己負担分は500円。

新たに通い出した地元の治療院では、一般4,500円、高齢者割引なし。保険適用の場合、自己負担分は3,100〜3,500円(1〜3割負担による)。

後者は、通常なら患者自身が療養費の請求を行う(手間がかかるらしい)ところを、治療院に代行してもらう、その手数料分が上乗せになっているらしい。

支払額が500円と3,000円(+α)では結構な違いですが、隣の県への往復代1,700円を足すと、計2,200円(前治療院)と計3,500円(新治療院)の違いとなる。

治療費を抑えたい患者の気持ちはともかく、通院の負担を考えると、地元で通うのがより良さそうなのです。

 

しかし、そもそも保険適用にはハードルが。

リウマチ科で現在、投薬を受けている時点で、「同一の病名で他の医療機関で併用治療している場合は認められない」のでアウト。

整形外科でもMRI検査や投薬を受けているので、いくら先生が好意的でも同意書をもらうことは不可能。

そこで、別の科の、例えば内科医に、鍼灸治療が受けられる病名の中で、自分が該当する症状の病名があり、鍼灸治療が必要だとの同意書をもらうことが出来てはじめて保険適用になるとのこと。

もう、そんなことを考えること自体がストレスだから、自由診療で全額払って、毎回1,200円程度(保険適用で安くなる額)を私が出した方が早いので、そう言っているんですが。

 

とはいえ病人にも意地のようなものがあり、「じゃあ、出してもらおうか」とはならない。「いや、どうにか頑張って頼んでみる」「もし保険がきかない場合は全額自分がなんとか出す」の一点張り。

ようやく見つけた鍼灸治療に理解を示さず…どころか民間療法すべてを否定する発言をされたという、リウマチの先生についても、「薬だけなら別のところでもらえるし、あの先生にはもう、お世話にならなくてもいい」と憤慨するあたり、なかなかたくましく、面白い。

命がけの医者探し、タフっす。

 

医師もいろいろ、病院も色々だけど、患者も(頑固だったり甘えるべきところで甘えないでいたり)案外いろいろ、だなぁ。

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病院探し、迷宮?(3)

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こんな続きを書くことになるとは。

 

ここしばらく、両手から腕にかけての痛みをかかえる身内のために病院を探し、来月あたまから鍼灸治療を本格的にはじめようと思っていた矢先。

以前から通院している地元の総合病院のリウマチ科の医師に、このほど鍼灸治療を受けはじめた、と伝えたところ、眉をひそめられたらしい。

 

先生が実際に「眉をひそめた」かどうかは、この目で見たわけじゃないので事実ではないものの、身内からの電話では、そんなニュアンスだったもので。

「私どもでは、この症状についてそのような治療は紹介もしませんし、特にご案内もしていません。そもそも、効果ありましたか。治療を受けられて痛みは少しでも消えました?」

そんなようなことを仰ったと。

伝聞なので大仰に再現されている可能性もあるんですが、それを聞いてわたしはてっきり、保険適用を断られたのだと思ったんですが。

整体や整骨院はコンビニと同じようにたくさん増えていて、医療機関とは言いがたい施設も中には…という現状から、簡単に保険適用の治療として同意できないのは理解できるし、膨らむ一方の社会保障費を抑えるため、国か自治体から大病院にもそのような通達が行っているのだろうと。まぁ、自営業のわたし自身、毎月の国保料負担がとてもキツいので、たとえ身内でも命に直接関わらない手の痛みの治療が保険適用にはならなくてもやむを得ないし、それもそうか、と思ったんですが。

そうではなくて、わたしの身内は「別に保険適用の同意書作成のお願いはしていなくて、痛みの改善のために通うことにした、とただ報告しただけ」だと。

理解を得ようと話したら、先生からあまりにはっきりと「効果はほぼ、ない」と言われてしまい、気持ちのやり場に困って、わたしに電話をかけてきたらしい。その日の診察では、追い打ちをかけるように、「血液検査で数値が少しもよくなっていないので、リウマチ用の薬の強めのものを出してもらった」とのこと。

「このまま手を使い過ぎたら、ますます酷くなりますよ」と言われてしまったとも。

 

ほほぉ。そう来たか。

 

リウマチ科でも整形外科でも、高度な技術のカテーテル治療でもお世話になって、にもかかわらず痛みが続くから、気休めでもいい、カウンセラーのように、あるいは占い師のように話をよく聞いて下さる鍼灸院にたどり着いたところなのに。

 

たとえば、連れ合いをなくして、長いこと一人でいたけれど、老いにさしかかり、ランチやお茶、散歩などを共にできる相手が欲しいと思って、ある人と付き合い出した途端、結婚する気などないのに、身内から「財産目当てかもしれない。素性の知れないひとだから危ない」などと反対されるような、あるいは、「きっと介護や家事要員くらいに思われてるだけ。苦労するだけよ」と助言された時の心境とはこんな感じだろうか。(ちょっと、飛躍しすぎ?)

 

同じ総合病院の癌の方でお世話になっている先生は、セカンドオピニオンを希望したときも、先生の立てた治療方針を断って別のクリニックを利用しながら経過だけは引き続き診てもらいたいというお願いにも、文句ひとつ言わず、否定的な言葉は一切なく、淡々と対応してくださった。終始、はげましや希望を持たせる予測は口にしないし、数値から見える事実以外の悪い話は一切しない。ぶっきらぼうだけれど、考えてみたらなんと有り難い対応をしてくださっていたのだろうか、と。だって、保険の効かない、個人クリニックで癌治療を受けることについて、「そんなところで治ると思いますか?もうこちらでは責任持てませんよ」なんて言われたら、気が重くなっていただろうし。先生はただ、「言われたことはしますが、こちらで治療方針は立てられないので、必要なことは言って下さい」と仰った。この先生はブレない。(同じ病院へ通う知人が、件の先生が無愛想すぎて信用できず主治医を替えてもらったそうなので、感想には個人差があるようですが)

 

病院を選ぶのは、患者自身であり、その身内でもありますが、最後はやはり、本人が何を選ぶか、何を望むかなんですね。どこにも希望がない場合には、その中でも「何を一番選びたくないか」を決断しないといけない。

普通は、何かを選ぶと何かを捨てないといけないんですが、がん治療で可能だったように、病気の場合、あちらもこちらも、可能ならば並行して関わる道を探したいものです。

たとえばリウマチの先生が鍼灸治療をよく思わないとしても、リウマチの薬は処方していただきたいし、血液検査をお願いしたいわけで…出来る限りのことはお世話になった方がよいのです。通いやすい、地元の病院で。

 

それにしても。言葉ひとつで痛みは和らぎもすれば、言葉ひとつで希望が簡単に打ち砕かれてしまうんですね。来月からお世話になる(かもしれない)鍼灸院では、どうか、少しでも希望が持てる会話をしてもらえますように。

 

 病院探しは、患者の心がどこへ向かおうとするか、何を求めるのか、治療法や医師をどこまで信じるか、目利きを問われている、ある種の修行道のような気もしてきました。

所詮、わたしはガイド役であり付添人。自分の感情にまかせぬようにせねば。

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病院探し。(2)

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先日買った帆布製トート。

軽くて重いものも運べて快適だけど、たすき掛けにして使うと、まだ身体に馴染んでいなくて少々ごわつく。でも、軽さと地味なルックスがよい。早く、くたっと「こなれる」のを待つばかりです。

直に見て選ぶことが大事で、何度か使ってみてはじめて、良い(自分に合う)かどうかが分かる、というのは病院についても言えるのかもしれません。

 

前回のつづき。

地元の総合病院のリウマチ科でも整形外科でも治療法はない、でも日常に支障をきたすほどの、両手親指から腕にかけてと手の甲の痛み。

どうにか対処してくれる病院は他にないものか、とネットで検索して、3〜4軒、タイプの違う医院を見つけました。

そのなかで、「症状や痛みがひどくなってからでは治りにくいので、早めにご相談下さい」という一文が載っているところは望み薄(もう痛みがひどいため)なので避けて、一方、似た症例を挙げて、治療法とその後の経過などを具体的に載せている医院にしぼったところ、2つ隣の県にある整体治療院と、隣の県の鍼灸治療院のふたつが残りました。

 

より遠方の整体院の方に惹かれたのは、院長先生の顔写真が載っていてイメージしやすいこと、電話すれば院長先生が直接相談にのってくれること、そして、よく似た症状の患者さんによるコメントでした。

「通院後2〜3日は楽な日が続き、またしばらくすると痛むという繰り返しでしたが、自分でも出来るリハビリを毎日していたおかげもあって、出来る動作が増えて来ました」

「自分でも出来るリハビリ」を教えてもらえるというのは、希望の光かもな、と。

通えないとしても、一度先生に診てもらって、改善するにはどうしたらよいかヒントだけでももらえたら、それだけでも儲けものではないか、と…

すぐに往復の所要時間と費用を路線案内で調べ、普通列車なら4時間(片道2時間)、特急利用で3時間(片道1時間半)、往復で4,000円弱〜7,000円強と判明。当人に「そこまでの距離を通う気力体力はあるか」とたずねると「一度行ってみたい」との返事。

で、いざ整体治療院に電話。

サイトに書いてあったとおり、直接受話器をとられた院長先生に症状を一通り伝えると、「それは、大変おつらいでしょうね…なんとか改善できたらいいですね」とのあたたかな声が…。

しばらく話をして、さらに期待が高まりいよいよ予約を取ろうとしたら、先生は「ただ…お住まいは遠いですね。一回で治ることはまずないので、通うとなると厳しいのでは。…お近くにないでしょうか?」と遠慮がちに。

「ネットで探してみただけなので…うまく見つけられなくて。先生、どこかご存知ないですか」

「いや…そちらの地域のことは分からないんです。ただ、ここ(の県)よりずっと都会だから、そちらのお近くにたくさんありそうですけどね…あるいは、お隣(の県)とか」と先生。

その助言をきっかけに、「隣の県の医院なら…そういえば一軒チェックしてたなぁ」と思い出し、ブックマークしていたもう一軒のサイトをもう一度見てみることに。

もうひとつの候補は、整体ではなく鍼灸院でした。

あらためて症例や施術例、先生の治療に対する姿勢などを読み進むうち、「わたしはなぜ、この鍼灸院を2番手にしまったのだろう…あの整体治療院と遜色ない内容なのに…」と自分で自分の判断に首を傾げたのですが、ここより遠方の整体院へ患者をなかば強引に連れてゆこうとしたのは、はっきりいって、遠方の海辺の町には温泉があり新鮮な海の幸ランチがあるだろうという、付き添いの自分にとっての手前勝手なオプションがあるせいなのでした。病人につき合うのは、時間的にも金銭的にも先が見えない道なので…自分にもおまけが欲しくなって、つい…

 

そんなわけで、遠方の先生のご助言でハタと我に返り、あらためて隣の県の医院について調べてみると、所要時間が30分ほど短縮出来ること、また整体院の半額程の交通費で行けて、施術料も半額近くになり、保険適用が出来る場合はさらに費用を抑えられると判明。また予約不要で、電話で相談してみると「分かりました。ではいつでもいいので一度お越し下さい」とのお返事でした。

先に問い合わせた整体の先生にキャンセルの電話を入れて、翌朝隣の県へ向かったのでした。

 

はじめて訪れるその地域は、運動競技場が近くにある関係からか鍼灸院が非常に多く、ネットで探すのに苦労した自分は何だったんだろうかと、恥ずかしくなる程の充実ぶりでした。

7〜8軒、別の鍼灸院を通り過ぎて、目当ての看板を発見。こじんまりした間口のその医院は、中へ入るともぐさの煙くて香ばしいような匂いがどこか懐かしく、銭湯の番台風受付台の向こうで「ああ、昨日の電話の方ですね」と立ち上がる院長先生のお顔を見て、「ああ、ここ正解!」と直感。

南方熊楠がヒゲを生やしたような…親しみやすいようでいて地に足がついた、存在感があるお姿に安堵してしまって。

 

鍼灸治療は痛む箇所、悪い箇所だけではなく、全身に施術するんですね。

だからひとりひとり、オーダーメイド。

わたしの身内患者はベッドに横たわると既往歴から現在の身体の不調をくまなく伝え、その都度先生や助手の方は「それは大変でしたね。つらかったでしょう」とねぎらって下さり、「それは何々が原因ですね」とか「ここの内蔵が弱っているからですね」などと答えてくださる。手の痛みだけでなく、あれもこれも、この際気になることは何でも、という勢いで不調をすべてぶちまける患者。そのすべてにゆっくり耳を傾けて、対処して下さるので、これが占いなら項目ごとに金額が加算されるところを、均一料金で何カ所も診てもらえるとは、なんてお得なのでしょう(と、カーテン越しに会話を聞きながら思うわたし)。

施術を終えた日の夕方から患者は発熱し、翌日も寝込んでしまったのですが…先生に電話すると、「鍼灸治療になれていなかったので反応が出ただけなので大丈夫」とのこと。

熱が出る=効果が出ているということ。そう安堵した当人は、手の痛みそのものはまだ解決はしていないのに、希望が見えて明るさを取り戻したのでした。何より、話をじっくり聞いて「つらいですね」と先生に親身になってもらえるだけで、苦痛は随分和らぐのですね。腹痛のときに添えられた手のひらの効能のような。

わたしにとっても、気になっていた帆布製の鞄の販売店が近くにあることが分かり、付き添いがてらに鞄の実物を見に行くことができて、自分にとってもよい「おまけ」体験ができたのでした。こじつけのようだけれども、素敵な偶然だと思えなくもない。

 

とはいいながら、3回の施術を終えた今、別の鍼灸院へ移ることに決めた我々。

それは、南方熊楠似の先生ご自身が「隣の県のここまで通うのは大変でしょうから…地元の医院を一軒知っているのでそちらを紹介します」とすすめてくださったからなんですが。

「僕は実際に行ったことはないんですが…その先生はいい先生なのは確かなので。でも、もし合わなかったらこちらで治療を続けていただいてもいいですし、とにかく近い方へ一度行ってみてください、その方がきっと通いやすいでしょうし」

ということで、先生に後ろ髪を引かれつつも数珠つなぎで三つ目(住まいから30分程度の距離)の医院へ行くことに…

 

それにしても、最初の整体治療院の先生も熊楠先生も、通院の苦労まで気にかけてもらって、ありがたい。

自力で近所の医院を見つけられなくても、なんとなく良さそうだと思った先生に問い合わせをしたり、遠方でも一度は行ってみたり、とにかく行動してみることで、こんな風に当初の目的に近づくことができるものなんですね。遠回りで無駄な抵抗に思えても、まずは直感で惹かれたところへ進む、そんなことを人生の他の場面でもいかせたらなぁと思う、今日この頃なのであります。

 

つづきはまたそのうち。

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病院探し。(1)

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念願だった、1〜2日の旅行にも使えるサイズの帆布製トートバッグを買いました。

昨年の夏あたりから旅行に使える軽い鞄を探していて、今年に入って、何度も遠出が必要になり、10年以上使っている帆布トート(丈夫だが重め)かリュックサック+エコバッグなどで乗り切って来たものの、どうも辛い。なんか違う、と。

とはいえ、出先で見かけた鞄を気に入っても、吟味する時間がなかったり、あとから考え直してみたらカジュアル過ぎるなと思ったりで買うには至らず。夏のセールが始まってすぐ、百貨店に「買う気満々」で出かけた時も、ピンと来なくてそのままUターンしてしまった。

それでも、どうしても軽い大きめ鞄が欲しい、と切実に思うようになって、またネットで調べて、ようやく良さげな鞄のブランドを見つけました。ただ、直営店や販売店は他府県にあるのみで、百貨店などでの扱いはなし。

わざわざ電車を乗り継いで行くのもなぁ。とはいえ、ネットではどの色を買ってよいのか決めかねるのと、サイズ感や肩にかけたときのバランスが、文字情報と画像ではどうもつかめない。質感や重さなども。

どうしようかなぁ…ブックマークしたまま一週間ほど経ち、昨年同様、買いそびれて夏が終わるはずだったのです。

が、思いがけず、わたしは先日、炎天下の中電車を乗り継ぎ、見知らぬ駅の細い路地を歩き、鞄店に向かいました。

早速気になっていた商品を手にしてみると、店員さんは「店内は暗いので、外に出て、実際の色味などを確認してください」と、いくつも鞄を抱えて連れ出してくださる。路地裏なので、そこへ、自転車のおじさんが通りがかり、よけたりしつつ…

いくつか手に取って肩にかけてみて、最終的に選んだのは、ネットで心に決めていたタイプとは別の形状、色でした。

行ってよかったのは、太陽光のもとで色が確認できたこと、質感や重さが分かったこと。そして、使い始めて三年経過した鞄が展示されていたことで、「使いこむ楽しさ」が想像できたこと。

素敵で素朴でいい感じ、のそのお店と鞄を一応紹介しておきます。

PRODUCTS of ichimaruni

 

先日体験した「病院探し」の話を書こうとしていて、脱線しました。

なぜ、出不精で腰の重い自分が他府県の鞄店まで出かけられたか、というと、その周辺(といっても乗り継ぎ二回必要)の、とある商店街の一角にある鍼灸院を訪問する用があったからなのでした。

その町には他にも鍼灸院がたくさんあって(数10mおき?)、何もそこでなくてもよさそうだったのですが…もっと言えば、地元にも探せばあったのではないかとは思うんですが。

そこは、このひと月半ほど、手首周辺の腕の側面から手の甲、親指にかけて激痛が走って家事が出来ないと言う身内のためにネットで探して見つけた一軒でした。

 

以前、「よいお医者さんの話(2)」でも書きましたが、あらためて。

わたしの身内に、癌がある時急に進行して、このままでは手術で切除出来ないと診断された者がいます。

医師からは、即、抗がん剤治療をはじめるしかないが、薬が効かず癌が小さくならなければ手術も出来ないし、もし手術に進めても臓器をいくつも摘出する必要があり、退院後の生活や延命には何の保証もできない、という、どこをとっても罰ゲームみたいな治療計画を告げられ、一旦は入院したものの、先の見えない治療に当人が参ってしまい、一時退院の際に、以前から本を読んで知っていたクリニック(遠方)でセカンドオピニオンを受けることに。

そして、医師の承諾を得て地元病院での標準治療を中止して(とはいえ今後のことを考えて医師との関係は保ったまま)、新しいクリニックで自由診療の治療を受けることになって数ヶ月。

現在、3度の治療(カテーテルで直接腫瘍の箇所に投薬し、全身への負担を減らしつつ効果を高める血管内治療)を受けて、後日、当初の医院でMRI内視鏡検査などを受けて経過を共有してもらって、結果、癌は驚くほど小さくなり大掛かりな手術は必要ない状態まで回復出来たのでした。再発した場合にも地元の医院で手術、処置等が可能なところまで…

治療費は高いけれど、効果が出てよかった。奇跡のようだと安堵したのもつかの間、その病人が急に、腕や手首、指、両手が痛くて日常生活が出来ないと訴えるようになって。

手首や指の痛みというのは不便で苦痛なものらしく、衣服の着脱、ペットボトルや瓶の蓋の開閉、手をひねって物を動かしたり物がつかめないなど、癌よりもずっと日常に食い込んでくるようです。洗濯機の糸くずフィルターの着脱や、ハサミで布を裁つなど、何気ない動作に苦痛が伴うとかで。

 

おそらく以前から患うリウマチが原因だろうと、当人も周囲も思っていたものの「その痛みはリウマチではありません」とのリウマチ科医の回答。それなら、と同じく通院中の整形外科で診てもらうも、「レントゲンで骨に異常はないし、この場合手術しても改善しないし、おすすめできない。湿布と痛み止めしか出せない」との回答でした。癌でお世話になったクリニックで、手の血管の炎症を抑えるような治療もしてもらったにも関わらず、痛みは改善せず。

痛みを抑える強めの薬を飲んでも、手首用サポートをしても温泉に出かけても、効果は出ず…

はじめは、まぁ癌が収まったのだから、手の痛みくらい何とかなるでしょ、と傍観していたものの、どこを受診しても何をしても改善せず、徐々に気持ちがふさぐ様子を見ていたら、このままでは辛いだろうなと端で見ていても思うように。

病は重い、軽いではなく、原因や改善法が分からないのが辛いんだなと。難病を抱えたひとのご苦労を、ふと考えてみたりしました。

 

それでも、標準治療での対応が難しかった癌が快方へ向かった経験から、「探せば他に、どこかによい先生がいるかも…」と、ネットで検索をはじめたのでした。

病人には悪いんですが、仕事終わりの深夜に少しずつ、自分の鞄探しと並行しての作業でありました。

検索の仕方は、鞄を探すときと同じノリで、思いつく限りのキーワードを入れました。病人が痛いと示す関節の位置や、痛む動作の内容など。そして、住まいに近い地域を入れてもヒットしないので、徐々にエリアを広げ、最終的に、普通列車で2時間程度、特急利用で1時間30分までの近隣府県まで対象にすることに…

医師やクリニックを探すときの条件は、普通は、通院と治療の費用、通院の距離、アクセス、治療の効果、クリニックの雰囲気(医師やスタッフの人柄から作られる)などですが、治る見込みが薄い症状の時には、「希望の兆し」を与えてくれそうかどうか、という点が何より重要になってくるものです。

癌の時にも同じだったように、治るのが最良だけれども、たとえその見込みは少なくても、なにか今よりは良くなる、あるいは楽になる、辛さをしのぐ対処法を教えてもらえるなど、ほんの少しでも希望が見えて来るヒントや材料を与えてくれる先生、あるいはクリニックかどうかという点が。

そこで、たどり着いたのが電車で一時間半の鍼灸院なのですが…

病院探しは、数珠つなぎ。

そんな話を次回に書きます。

※イラスト内の英語に間違いもあるかと思いますがお許しを。

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心は誰のものか。

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人が、他のひとに呪いの言葉をかけている場面を見ました。

ひと月程前。大通り沿いの商店街を歩いていた昼下がりのことです。

ある店の主人が、その場を立ち去ろうとしている二人の男性の背中に向かって酷い言葉を吐いていました。

言い放つ、というよりは、隣にいたひとに言って聞かせるような形で。

 彼らの行く末の不幸と苦しみを予言し断定する口ぶりで何度も何度も。

 

水木しげるさんの漫画で『鬼太郎の地獄めぐり』という本を持っているけれど、具体的に絵で示された地獄より、市井の人の口から出る漠然とした呪いの言葉は恐ろしかった。いや、それよりも、なんだか痛々しく切なかった。

 

以来、とくに誰に話すでもなく今日まで過ごして来たものの、図書館で「陰陽師」関係の本やら、古代エジプトの『死者の書』についての本を借りたりしていることからすると、知らず知らず、自分にもあの日の不穏な空気が降り掛かったままなのかもしれません。

ふとした拍子に何度もその場面を反芻しては、どうしてそんな言葉を彼が口にしなければならなかったのか、と考えてしまう。

あれは、短気なおじさんがキレていたんだろうな、と簡単に割り切れないのは、その店で、以前親切にされた記憶があるから。

そして何より、呪いの言葉をかけられた人より店主の顔の方が悲しそうだったから、かもしれません。

 

店主の視線の先にいた二人の男性は、路上駐車を見つけてシールを貼る、監視員の人達のようでした(ユニフォームから判断)。

想像でしかないけれど、もしかしたら、買い物するために、ほんの一時、店の前に駐車したお客さんの車にシールが貼られたのかもしれない。店主は客のために監視員に説明したが、受け入れられず、さらに抗議しても無視された末のことだったのかもしれない。

店主の背後には中年女性がいて、戸惑うようにたたずんでいた。店主は、客である彼女のために、慰める気持ちが転じてそのような言葉を吐いていたのかもしれない。

本当に呪うつもりならば、相手に向かって「○○してしまえ!」というような言い方をすると思うんだけれども、実際には彼は「絶対○○…だよね」「絶対、彼らは△△できないよ」というような、女性に話しかける形を取ったところに、呪いをかけることを避けたようにも見えるのです(彼ら、というソフトな言葉ではなかったですが)。

 

駐車監視員の方は、おそらく他の場所でも文句を言われたり捨て台詞を投げつけられたりしているだろうけれど、それにしても、普段まさか、そこまでは言われないはずの言葉を投げかけられてどう思っただろう。

伏し目がちに、口を一文字にした二人は去ってゆきました。

彼らは、そのような言葉を投げかけられて、どこで御祓をするのだろう。塩をその身に振りかけて帰宅することはあるのか、それとも立ち呑み屋さんで一杯やって、忘れようとするのか。家族や友人に、その空気を振りまかないようにどのように過ごすのだろうか…

 ただ、自分なら、と想像すると、呪いの言葉は、かけられた者より、口にした者の方が打撃を受けるような気がしました。

どんな事情があるにせよ、どちらも傷ついている。そんな時、どうすればいいのか。

 

たかが通行人のわたしが、偶然耳にしただけで、呪いの言葉を具体的に書くことも人に言うこともできず忘れられないのに、言った本人と言われた側は、どうやってこれを 解消するのであろうか。

宙ぶらりんな思いのまま、最近借りて来た、夢枕獏 編『陰陽夜話』の、小松和彦さんとの対談を読んでいると、小松さんが仰るには「長く続いている都市には、必ずどこかに人間のドロドロした思いを吸収してくれる装置があると思」うとして、例に京都・貴船神社での丑の刻参りや、他の女と縁を切って男に自分の所へ戻って来て欲しいとお参りする女性の話をあげると、夢枕さんが「普通は戻って来ないですけどね、そんなことをしても」と返すんですが、そこで再び小松さん。

「そういう切々とした思いを語る、或いはそういうものを表現する場所、捨てに行く場所が必要なんですね」と。

何も男女の問題に限らず、負の感情を埋める闇の場所が、人には必要だというわけです。一例として、筑波学園都市(60年代に建設が始まった研究学園都市。整備されてきれいな街)で一時、自殺者が多かった話を出しておられたのは、なるほど、確かに。

きれいで上品な店だけじゃなくて、上司の悪口を言いながらお酒を飲める赤ちょうちんみたいな場所って、大事なんですね。

このような感情の問題は、能の「鉄輪」をモチーフにした、近藤ようこさんの「生成」(『春来る鬼』に収録)や、山岸凉子さんの『黒鳥−ブラックスワン』などの漫画でもモチーフになっているので、昔も今も、人が生きている限りは消えないものなんですね。

ホッとしたところで、なんだか、また中島らもさんの、『ガダラの豚』を読みたくなってきたのです。そう、呪いをここでひとつ、エンターティメントとして味わうことで気分を変えようと。

 

 ところで、わたしもかつて、面と向かって呪いの言葉をかけられたことが。

小学生高学年くらいだったか、商店街で母と買い物中、青果店のおかみさんに指さされ、「そんなに背が高かったら、将来お嫁に行けないわ」と。

近所にスーパーが出来て、その青果店界隈が寂れて行った時に、わたしはほのかに思った。

買いものに行っても常連さんと喋っていて、いるのに気づいているのにあそこでは立ったまま長いこと待たされた。やっと買い物できると思ったら、おかみさんが口にするのは「背が高すぎて嫁に行けない」だの「声がちいさい、元気がない」だのだった。

多くの人がスーパーに行きたいと思うのはしょうがないじゃない…と。

わたしも、ひそかに呪い返してしまっていたのです。

呪いをかけたものには、自分にも何かかえって来る気がする。

その証拠に、青果店のおかみさんの呪いは今も解けていません。

あ、ホラーではなく、ここ、(笑)で。

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それでいいのだ。

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最近買って、大正解だったもの。銀だこ監修?、たこ焼き器。

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(画像)【楽天市場】築地銀だこ たこ焼き器 (たこ焼きプレート)【RCP】:おいしい生活より

オセロの盤のような串ガイドがついているので裏返す際、くっついた生地を切り分けやすく、また、最後にこのラインに油を流し込むと、均等に行き渡って外はカリカリ、中はふわふわに仕上がるので、なんでもない線のようでいて、便利。

おいしいし、気持ちよくひっくり返せるし、2800円程度で得られる大満足。

東急ハンズの売り場で選ぶ時に他のものと迷った点は、①価格②本体サイズ③焼ける個数④温度調整機能の有無。

温度調整つきのものは、これより600円くらい高く、また本体サイズも一回り大きい。収納のことを考え、最終的に一番小ぶりだったものを選んだのですが、レジに向かう間も、買って帰る道中も、こんなスイッチ一個だけのつくりで大丈夫なのかなぁ…と。

家でプレートをはずして確認したところ、電熱線も、まぁシンプル。

大丈夫なのかぁ、これ。

不安は募るばかりだったんですが…

実際使ってみて、温度調整は自分ですればいいと気づいたわけです。そう、いざとなったら(焦げそうになったら)スイッチを切って余熱で調理すればよいのだ、と。あと、場所によって熱が伝わりづらい部分があるので、焼いている途中で、丸まってきたたこ焼きを串でひっかけて焦げやすい穴に移動させ、熱を均等にあててやれば(銀だこ店頭でもよく見る光景です)よいのだ、と。

ちなみに、オリーブオイルを使って作ると軽くて上品な味になるもんですね。

 

別に、たこ焼き器を宣伝するつもりではないんですが、思えば今まで「あった方がいい」と思って値段がその分高くても選んで、結果、その機能を使わず宝の持ち腐れ的なことになってばかりだったと気づいたもので。

 

まず、引っ越し後に買ったトースター。

安いのは3,000円程度で売っているものの、オーブン陶土(成形してオーブンで焼くだけで立体作品が作れる)で人形作りなどに使う可能性があったので、温度調整がW(ワット)ではなく、℃(度)で出来るものを探していたため、結局8,000円近くするのを買ったのですが…

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この数ヶ月、備わっている機能のわずかしか使っていない…

オーブン陶土での作品づくりからも遠ざかっているし…ピザやグラタンも作らない日々。

本体に、トースト 250℃で2〜3分、と印字されているのですが、指示通りにやったら焦げちゃったので、今170℃あたりで、3〜4分くらいにしておいて、1分くらいを残したところで強引にOFFにする使い方をしており、「フライあたため」は、170℃で7〜10分とあるんですが、170℃で2分くらいで焦げて来るんで、また強引にOFFにするんです。なんか、表示を信じられず、結局自分の「感覚」を頼りに使うだけ…

だったら、3,000円程度のシンプルな「強、弱」程度の温度設定ので充分だったなぁと。

 

他にも、便利そうだと欲張って選んで、結果、多過ぎると却って不便なこともあるのがポケット。

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どこに入れたか分からなくなって、探し物が見つからないで焦ること多し。切符、鍵、リップクリーム。ハンカチ。どこいったの…と困るやら、レシートだの、溶けかけの飴だの、何ヶ月前の?というものが出て来ることも。

 

 多くて却って不便といえば、テレビやDVDのリモコンのボタン。自分のテレビはもらいものなので、リモコンの機能は一部しか使っていないんですが、よその家のリモコンは輪をかけて意味不明です。友人宅に同じリモコンが3つ置いてあって、なぜかと聞いたら重要なボタンが壊れてしまったので次のを買って、そしたらまたある箇所のボタンが壊れて、随分古いリモコンを出して来て使ってみたら使えたので、それぞれ「生きている」ボタンをリモコンごとに使い分けているとのこと。

電池をリモコン3つ分使うのって、なんかもったいないような気もするんですが…

 

こんな時にぴったりなのが、一條裕子さんの『静かの海』。たこ焼き器に感動している今こそ、浸りたい一冊。

 

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木村しづさんが暮らす、木造平屋建てのこじんまりしたおうち。引き戸を開けたら下駄箱があって、隅っこの古い壺に傘が立ててある、懐かしくも今やおとぎ話のような空間。

そこにある電化製品や家財道具などの「ため息まじりのつぶやき」を通してしづさんの暮らしが4ページ程度で描かれるんですが…なぜ、この愛すべき傑作がアマゾンで中古本が40円から売られているのだろうか…

急須と仏壇の話がおすすめ。いや…鏡台も捨てがたい。

 

冒頭の話に戻ると、たこ焼き器は自分用に買ったんですが、実家で一回試しに使ってみた所、食べ物の中で、おそらく「お好み焼きが一番」好き、な母が、「たこ焼き派」に改宗しそうなほど気に入ったおいしさだったわけで。

自分用に買ったのだけれど、しばらく実家に置くことに。

ふと、ホットプレート(温度調整つき。フタつき。焼き肉用プレートつき)の立場になって考えたら、お株をとられたっていう状況かなぁと。

でもね、最近温度調整があやしくて、焼けないし、すぐ焦げるし、こびりつくんだもの。

そんな人間の声を聞いて、しょげているのかもなぁ。

てなわけで。たこ焼き器と、一條裕子さんの本、どちらか、ぜひ。ふふ。

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