hanihostamp penguinblog

のほほん、ペンギンライフ。

介護をめぐる冒険。〈施設を探す話③〉

 

f:id:shijimi25:20171002181727p:plain

将来親の介護のことを考えると気が重い、という方は、未婚既婚問わず多いと思うんですが、私もそうでした。両親とも病気を抱えて入退院を繰り返し、いよいよ地元へ帰らなければ、と決意した時には、とうとう来たかと、苦手なジェットコースターに乗るための階段を上がるような気分でした。

でも、自分が故郷を離れている間、姉が仕事をなんども休職、転職して見ていてくれたので、姉の負担を思って心が痛い、というか自分は遊んだり家で昼寝したりしているのに姉にばかり負担をかけて申し訳ない、とずっと思っていたので、実際に「主たる介護者」に自分がなったり、医療費の多くを自分が負担した時、むしろホッとして、大きな顔をして「しんどいわぁ」と言いふらしていたようなところもあったかもしれません。

でも、今になって、私が介護をしているのは、多分「そうせざるを得ない」という状況で、自営業なので「できてしまう」部分はあるものの、本当は「私は介護できない」「しない」という判断、選択だって出来ただろうと思っているのです。

 

以前、父を見舞ってくれて、私や姉をねぎらってくれた看護師の友人がこう言ったのです。

「私は、父のことはみないって決めてるから」

優しい性格で、早くに母親を亡くしてからは、弟と父親と3人暮らしで家庭を支え、看護師になり、結婚後は訪問看護師として活動している彼女が、あまりにもきっぱり断言するのを聞いて、「ほぉ〜、そうか。そうだねぇ」と、なんだか目からウロコなのでした。専門職なのに、というか、だからこそ「他人がみた方がいい」と思っているのかもしれないなと。

 

そのことを踏まえつつ、施設探しの話を書きます。前々回からの続きです。

はじめに入院した急性期病院で、早めに地域包括ケア病棟(床)を備えた病院へ移り、その後リハビリ施設を経て、いずれ入居する施設を探すように、と促され、担当ケアマネージャーさんから候補となる施設の一覧(連絡先のみ)をコピー用紙数枚に分けていただいたのが、転院当日のことでした。

 

お金に比較的余裕がある方や、ある程度自立して生活できる方などは、すぐに入居できる有料老人ホームや、サービス付き高齢者向け住宅など選択肢はあると思うのですが、うちの場合は①年金額の関係で高額な施設には入れない、②要介護4である、③個室は孤独だと嫌がるので、ある程度賑やかで構ってもらえる環境が良い、④持病があるため常に医療機関との連携が必要である、これらをふまえて、予算の面からは〈特別養護老人ホーム〉を希望し、本人の快適さを考えて費用面は一度無視して〈グループホーム〉も検討したい、という流れで、施設としては二種類、そして施設入所までの間の機能訓練施設〈老人保健施設〉の見学も含めて行うことにしました。

 

ケアマネさんが用意してくださった一覧表には数十件の施設が載っていて、そこから交通の便や、介護職経験者の姉から見て(仕事仲間からの「職場環境がキツい」と評判の施設や、求人情報で常に広告を出している施設、自分が系列の施設で働いた印象など)「あそこには預けたくない」という施設を除き、特養とグループホームで計8箇所程度、老健の方は選択肢が2箇所で、うち一軒はショートステイ先を選ぶ際に見学済みなので1箇所のみ見学することになり、一覧表の電話番号にかけて自分たちで予約を取り付け数日かけて回ったのでした。

 

1軒目。交通の便も良く、私たちにとっても通いやすい立地の施設。父の友人などが面会に訪れてくださったとしても、ここなら大丈夫、という感じの、白いレンガ造りで上品な外観。

お会いする職員さんは皆さん感じが良く、相談員さんと向かい合って座るロビーは大理石風の床にラタン家具で調和がとれておりリゾートホテルのよう。そこから大きな窓越しに見える、緑と花で彩られた庭には、先日移動遊園地がやってきて、お隣の幼稚園の子供達も招いて、入居者のみなさんも楽しまれたとか、今日はわらび餅作りをしているので見学されますか?など、夢のようなお話をされ、おまけに月額の利用料が、思っているよりずいぶんお手頃。リフォームしたという内装もピカピカで入居者さんも上品な方が多く、笑顔で、PR動画を目の前で見ているようでした。夢のような施設じゃないか。なにここ、私も住みたい...

「是非、ぜひこちらに今すぐ申し込みたいです!」と姉と私。

「はい、大歓迎です〜」と仰っていた相談員さんの顔が曇ったのは、入所希望が、私たちの「父親」だと伝えた時から。

「お父様...ですか」

大変申し訳ないのですが、私どもでは男性の入居者様は、ほとんど受け入れていないのです。女性とは別室になりますし、現在定員は8名(もちろん満床)となっております。そして、全体でお待ちいただいているのは300名様でございまして...

うなだれる私と姉。

「そして、申し訳ないのですが、医師による往診は週に二日ですが、入居後に病院へ入院されました場合、一定期間を過ぎますと、一旦ご退所いただき次の方にベッドをお譲りいただく形になるかと...」

 

その後訪問した特養の施設でも、喫茶コーナがあるとかリハビリに熱心だとか、それぞれ良い面があったり、職員さんの表情がいまひとつ元気ないなぁとか入居者さんの様子を一切見せてもらえなかったなぁとか、自分たちとしての感想は都度あったのですが、私たちが気に入ろうと嫌がろうと、それ以前に、どこも「父親」だと告げると難しいと言われ、「男性はいろいろと難しいですし、女性の方が多いので...」という話に行き着き、「大勢お待ちいただいておりまして、入所の必要性が高い方を優先となります」という結論へ...

こうなったら、多少高くてもグループホームならどうかなと思いきや、こちらも待機者が多いと。そして自分たちが訪問したところは思い描いていた「家庭的で和やかな」雰囲気とは違い、「個室で、ご自宅のようにお部屋でお一人で好きなようにお過ごしいただけます」(つまり、一人で放って置かれるとも受け取れることかなと...)だとか、「最低額として、そちら様の場合は月額28万円以上となりますし、この他に理容代、訪問医療などもかかってきます」という情報の上で、「空きがありませんので、お待ちいただいてもいつになるかは分かりませんが」とピシャリ。(たまたまその施設がそうだっただけで、姉によるともっと感じの良いグループホームは多いそうです)

ちなみに、上記のリゾートホテル風施設も含め、「特養」の方は、試算一覧表によると、要介護度や世帯の所得にもよるのですが、月額基本料が5万円程〜8万円台が多くて、最大でも16万円程度でした(1割または2割負担かと、介護負担の段階で大きく違う)。

その、特養の中で1箇所、「男性待機者が今いないので、ぜひぜひうちへお申し込みください」と言ってもらえた施設は、スタッフが不足していて朝は2名のスタッフで80人を見ている、との話でした。

それを聞くと私などは、よく観に行っている宝塚歌劇宙組の舞台では80人以上の生徒さんがいつも登場されるので、ええ、あの人数のお年寄り(介護が必要な方が大半)を、朝の数時間で起こしてお手洗い等から食事させるところまでたった二人でサポートするって、え、ハードすぎるんですけど...

 と思ってしまったのです。

 

「でもそれは、あの夢の様なリゾートホテル風施設でも同じ。人手不足はどこも一緒だから」と姉に諭され、結局、そのリゾートホテル風施設(系列の2箇所)、男性の待機者がいないという、ちょっと心配だけど受け入れに熱心そうな施設の計3箇所に申し込み、グループホームは選択肢から外し、リハビリのための老健は大病院が経営しているという、送迎バスのある1箇所に申し込みました。

 

数週間後、申し込んだ老人保健施設の相談員の方が父の面接のために入院先へ来てくださったのですが...

「現状ですと、うちでは受け入れいたしかねます」とのお言葉。

施設に入る話ではなく、3ヶ月の機能訓練の申し込みにもかかわらず...当面受け入れてもらえないと。

理由を尋ねると、父は入院中体調が変動し、薬価の高いお薬を処方されていたため、「私どもでは、基本的にジェネリックに切り替え、お薬は必要最低限に減らす方向で対応いたしますし、医師による往診は頻繁には行えませんので、この様に体調がすぐれない状態ですと、厳しいかと...」とのこと。

確かに、もっともです。超高齢化で国民健康保険の赤字が増え続ける今、どこかで削らなければ、際限なく現役世代の負担が大きくなるだけなので..私も毎月高額の国保料を支払っているから、身にしみて分かるのです。

 

介護関係の記事では、「自分の人生を考え、親を施設に入れることも積極的に考えた方がいい」という内容が多いと思うんですが...

どの施設でも共通して仰ったのは「申し込み順に入所できるわけではなく、ご家族の事情などで入所がより必要な方を優先しています」ということ。はっきり聞いたわけではないんですが、優先の条件としては、虐待が疑われるとか、老老介護、身内がいない場合や介護者が病気であるなど、緊急を要する場合なのかもしれません。

 つまり、現実的には、ある程度経済的に余裕があって選択肢を持つ方か、あるいは、よほど困窮していたり切迫しているために優先順位の上がる方、どちらかでない限り、色んな意味で中間地点にいるご家族にとって、施設へ入れる決断をしても、その先に今度は施設側から選ばれるのを待つだけしかない..のですね。

 

そんなわけで、現在まだ体調が安定せず、結局二つ目の病院で過ごしている父。

落ち着いて考えてみれば、入院している限りは、体調が急変しても対応してもらえるし、毎日交互に見舞いに行けば、私たち姉妹の負担も公平だし自由も得られるので今は以前より、本人を含め家族も一息ついている状態なのですが、病室を見渡すと、どこの家庭も同じような状態なのだなぁと、他の患者さんご家族との交流で知ることになったのでした。

親(または配偶者)を家で見られない、でも施設には入れないというケースはどうしたら良いのか、今入院中の病院の相談員さんに聞いて、そこでいただいたアドバイスを含め、だいたい見えてきた道筋について、また次回に。 

広告を非表示にする

介護をめぐる冒険。〈施設を探す話②〉

f:id:shijimi25:20171001142612p:plain

ネットニュースで介護離職 施設入れる選択肢も】という記事が載っていました。最近よく、働き盛りの世代の介護についてのコラムや、エッセイや小説など介護関係の本を新聞や書店で目にします。子育てと介護が重なっている人、自身が病気、疾患を抱えながら介護をしている方、家族に病人と要介護者が複数いたり...それぞれの事情があるから、難しいんですね。以前、盛田隆二さんの『父よ、ロング・グッドバイ 男の介護日誌』を読んだ時にも思いました。

そして、介護で大変になるのは本人を相手にすることの他に、介護、医療関係のサービスや治療を受けたり制度を利用するための役所を含め各所への申請や契約手続き、サービス担当者会議など、平日の一定時間を取られることが多いことかなと。とはいえ、親の介護を通して、子育てしながら働く方や病気のご家族を支える方、ご自身が闘病しつつ周囲に頼れずにいる方のご苦労など想像してみたり、色々と自分の無関心や能天気さに気づく機会でもあるんですが...

 

先日、認知症の親御さんと二人暮らし(週に数時間を除き、ほぼ24時間介護で休職中)の知人から、徘徊やいろいろな行動で家の中と外の両方で大変な思いをしているという話を聞いて、「もうそれは、施設に預けるとか、せめてショートステイで何泊かしてもらって休むとか、ヘルパーさんに来てもらうとか、そういうのが必要なのでは?」と私が思わず言うと、「そんなの、本人は自分がしっかりしていると思っていて、施設に預けられるなんて納得するはずもないし、3時間のデイサービスに行くだけでも毎回拒んで大変なのに、どうやって施設に預けられるの」と返されて、もう何も言えませんでした。

「うちの事情を理解していない人に言われたくない」のは私も同じなので、そりゃそうだよなと。でも、徘徊で警察に連絡をしたり、家の中が荒れて大変な状態になっていても「本人が納得しないしどうやって説得するのか」という一点で現状維持しかないなんて、一体どうすれば...このままでは介護者の方が倒れてしまう...

そう心配したところで自分は外野なので。そう、友人や親戚や同居していない「きょうだい」も含めて当事者にとっては外野だと思うのですよね。

 

私の場合は、ずっとフリーで自宅で仕事をしていることもあり、いつも自由に動けるイメージを持たれて、家族や親戚や知人から、急に休む人の代わりに仕事関係のイベントに助っ人で呼ばれたり、本人が行けない葬儀や授賞式、学校行事等に代理出席を頼まれたり、思えば長年、平日動けるフリーだからと何かと頼まれてきたものですが、自分でも「なんで私ばかり〜」とは思いつつも、実際に時間には融通が利くので、ここ数年、親が病気になったり介護が必要になってからは当然のように、周囲から「あなたが支えてあげてね」「あなたが一緒に暮らして助けるんでしょ」と言われ、率先して受け入れてきたように思います。

 

取引先の多くは関東にあるのに、ネット環境があれば仕事は成立するので、地元に戻って親の介護をするようになってからも生活してこられたのは、自営業ならではなのですが、周囲の人の多くは「仕事って言っても趣味の延長で、今は親御さんの年金で暮らせるんでしょ」と思っておられて、フルで仕事していることを伝えると「えー、今もちゃんと仕事していたの、大変ねぇ」となんど驚かれたことか。

親が自営業で国民年金しか受け取っておらず、財産もなく、介護サービスや医療、交通費等でかかる費用は年金支給額を上回るので、年金に頼るどころか足りないっていう話なのに...

世間的に一見華やかな商売をしていたり、それなりの立場にある方でも、内情は交際費、事業資金等で経済的に苦しい、そんなご家庭は他にもあるのだな、と不思議とホッとしたのは井上理津子さんの『親を送る』を読んだ時でした。ちも、父が現役時代からの名誉職に関係して今でもお祝い事やお悔やみなど毎月のように出費があり、お金だけならともかく、私が代理出席したり本人を正装させて介護ヘルパーさんに同席いただくこともあったりして途方に暮れるのですが、そうこぼすと友人やきょうだいは「そんな付き合いは一切やめたらいいのに」と言ってくれますが、やはりそれは本人の人生の積み重ねをここで無には出来ないという気持ちと、葬儀の時に、花の一つでも供えてくれるかもしれない団体だからとか、弔電の一通でもくださるかも、などと、俗っぽい計算もあるかもしれません。

そうは言っても、徘徊で行方不明になった親御さんを探して走り回ったり、家の中が汚物で散らかされたりする状態で疲弊しておられる方の大変さを聞くにつれ、うちなんて、大変と言っても大したことないんだろうしなぁとも...

 

結局、周囲には個々のこみ入った事情が分からない以上、どうしようもないというか、何か良かれと思って言っても言われても気まずいことになるので、むしろ個人的に関係のない、ケアマネさんや医師、相談員の方になら何かと不都合なことも説明できるし、事務的で客観的なご意見の方が素直に聞けるのかなと。

 

今年二度目の入院の時に、父の主治医が認知症の進行の早さに驚き、「こんな状態なのにご自宅で過ごしておられたのですか」と頭を抱え、「施設など今後のことを考える時期が来ていると思います」と促されたのは、正直なところ、「客観的な診断」を受けたと自他共に認められる良い機会だと思いました。やはり私は、自分でもびっくりするほど、世間体(親関係の周囲の目)を気にしていたようです。

もう一つは、父本人が、「あ〜入院できて安心したぁ。楽だし快適だしよく寝られる。お医者さんがすぐそこにいるから安心だぁ」と、安堵していたことでした。必死に介護していたつもりでも、本人にとっては、やれ血圧を測れだの体重を測れだの、歯を磨いてとか、さぁ立ってズボンを着替えるから、などとある程度自力で動いてもらうようにしていたことが、本人には結構体力的にきつかったのかなと。

そして夜中にしんどくなった時に、娘が出来るのは医療行為には到底及ばないことだったので、自宅で苦しい時間を過ごすのは不安だったのだなと。

そう思うと、自宅で暮らすことが本人にとって最良だとは限らないのだなと気づけたのでした。

 

後で病院の資料などを見てわかったことですが、父の主治医が「急性期病院では長い間は診られないので、転院をして、その先には施設を見つけるように」と助言をされたのは、その先生個人のお考えというより、超高齢化社会の日本の医療・介護制度に関わる問題解決のため、政府が提案している〈地域包括ケアシステム〉に従ったものだったようです。

そんなわけで、主治医の勧めに同意すると、次に相談員さんから地域包括ケア病床がある病院を教えていただき、受け入れ許可が出次第転院して、そのあとの施設については迅速に探す、という運びになったのでした。

やはり、ドラスティックな決断には、個人を超えた目線の説得が必要なのかもしれません。介護で疲弊している知人にも、そんな説得がどこかの機関からあれば...

 

ところで、いざ施設を探す決断をしたところ、家庭の事情(経済状況、本人の状態、性格、性別なども)も含め、選択肢は結構狭く、さらに希望する施設への入所は数年待ちも当たり前という現状を知ることになって「ヒェ〜」と汗が出たのですが...それは次回に。 

広告を非表示にする

介護をめぐる冒険。〈施設を探す話①〉

f:id:shijimi25:20170930114349p:plain

 前回ブログの記事を書いたのは、いつだったかな..と思って確認したら、3月でした。あの時は父が入院中で、間も無く帰宅するのでどうなることやら...という不安まじりの長文を宝塚観劇の話とともに書いていたのでした。(前回。「親と宝塚と私」

 

あれから半年。宝塚の宙組では当時、『王妃の館/VIVA!FESTA!』公演中だったかと思うのですが、今は『神々の土地/クラシカルビジュー』公演中なので、時の経つのは早いものです。そんな今、父はどうしているかというと、また入院中なのです。

春の入院生活を経て帰宅した父は、要介護度は上がり認知度は低下し、いざ二人での生活が再開すると、想像していたよりも大変でした。一番は、仕事をしながら日中父の世話をしたり、夜中に何度も起こされることで睡眠不足に陥ったこと。もともと繁忙期には徹夜に近いことも必要な仕事だったので、介護をふまえて仕事は減らしていたつもりでもきつくて。

たまに宝塚を観に行ってリフレッシュを試みるも、宝塚と家とは往復3時間。公演も3時間なので楽しいのはいいんですが、もう何が何だか、くたくたになってしまって。友人と会っていても、途中で眠りそうになるし。これは一度、上げ膳据え膳で爆睡したい。そうだ、老舗の温泉旅館で一泊しよう!と思い立ち、父を姉に頼んで旅に出たのが6月末。ところが旅先に姉から「父がまた入院した」との連絡があり、舞い戻ってきました。

実は、上げ膳据え膳の温泉旅館というのは、結構しんどいのがわかりまして。まず、貸切風呂は、予約制ではなくてお風呂場に札を下げて鍵をかけて使う方式なので、「空き」を見計らって入りに行かねばならず、落ち着かない。そして部屋食なので食事の30分前から準備を始められるし、縁側でそわそわ待ったりして。朝も、朝食を頼んだ30分前に「失礼します」と起こされて布団を上げて食事の準備...。朝食抜きにするとゆっくり寝られたのですが、地元の海の幸の干物の朝食を諦めきれず...ああ、リフレッシュって結構難しいもんだなと。

それはともかく、ここからが施設探しの話となります。

 

以前から、姉やケアマネさんから「施設(終身居住)の見学や申し込みをそろそろしておいてはどうか」と勧められていたものの、「いや、もう少し大変になるまでは私が」と引き延ばしていました。施設に申し込んでも待機者が多いからなかなか入ることは出来ないし、早めに考えておいたほうが...との助言にも頑なに「せめて今年いっぱいはこのままで、施設の事は来年以降に考える」と言い張ってきました。

やはり、本人が「施設」という言葉を極端に嫌がり、ショートステイ(1日〜数日間滞在して介護や機能訓練やレクリエーションを受けられる短期入所の施設。預けることで家族が一時的に休息できる)一泊でも抵抗していた(実際に行ったら楽しかったと帰宅するのだけれど)のも大きくて...

 

しかし、ここ数年繰り返した入院の果てに、お世話になっていた病院の担当医から、「はっきり言って、今の状態では、もうご自宅で過ごすのは難しいのでは?施設を探すなど、この先のことを考えておられますか?どうしても自宅で介護すると仰るなら、私たちはそれに向けて退院支援をしますが、難しいのでは?」というお話があり、病院の相談員のかたからも、「ひとまず次の病院を探して、受け入れ可能な病院があればそちらへ転院していただいて、そのあとの事もこの機会に検討していただけたら...」と促され、結局入院してすぐに、ケアマネージャーの方に相談しつつ、父の今後について怒涛のように頭を巡らせることとなったのでした。

いずれは施設を探さないとなぁと思っていたのに、ここへ来て一気に、追われるように決断を迫られる私たち。悩む間もなく、うわ〜っとダイアリーを開いて姉と予定を詰め込んで行ったのです。

 

順序立てて書くと、次の通り。

⑴入院(これまで長年お世話になっていた大病院。主治医から、これ以上改善を見込める治療のしようがない、認知度低下で当院では対応できない、急性期病院のためベッドを早めに空ける必要があると宣告)。すぐに転院先を検討し、相談員さんに受け入れ可能か確認してもらう。

⑵受け入れ可能と返事があった病院の中から、どこに転院させるのが良いか(通いやすいか、雰囲気等)を検討して、最短日に転院。介護タクシーの手配。

⑶転院先でお世話になる間に、将来的に入所可能な施設を探して複数箇所見学して申し込む。

入所希望の施設(費用が低く家族の負担も少ない『特別養護老人ホーム』か、費用はかかるが家庭的な雰囲気で少人数で過ごせる『グループホーム』)は待機者数が多く、入所できるまで数年かかる可能性もあるので、まずは一刻も早く申し込む必要あり。

⑷転院した病院の次に、施設にすぐ入るのはまず不可能なので、間に『老人保健施設』という、機能訓練(リハビリ)を行いながら介護、看護も受けられる施設(〜3ヶ月または事情によって6ヶ月まで)で過ごし、退院(施設入所が決まっていなければ自宅へ帰宅)を目指す。

⑸退院した父と暮らすために、どんな介護サービス利用が必要かを検討する必要あり。今までよりさらに介護が大変になるので、自宅で過ごすのを週に3日程度にして、他はデイサービス、ショートステイを複数利用するよう組み合わせる。その際の費用負担の計算をする。そして自宅で暮らしながら、また入院が必要になれば、⑴の大病院ではなく、⑵の転院先に直接入院をお願いする段取りにしておく。

⑹以上の流れを踏まえて、まずは『老健』と呼ばれるリハビリの施設と、『特養』『グループホーム』の見学、面接と申し込みが必要。

 ⑺『老健』の相談員が病院へ本人と家族の面談に訪れ、入所可能かどうかの検討会議にかける準備をする。最短でも受け入れまでに1ヶ月必要。

 

ということで、父の入院から一週間後に⑵になり、転院した当日にはもう、施設見学の日々が始まったのでした。

 

施設入所にはいくつものハードルあり、思い違いありで、中には夢のような施設(ここはハワイのリゾートホテルか、みたいな)もあったり...

考えてみれば、老舗温泉旅館に憧れ、そこでのお一人様一泊リフレッシュを目論んだ私が、実際には旅館のサービスを利用するにあたって、「あ、仲居さんへの心付けを用意するの忘れた!」とか、「あ、貸切風呂今空いたと思ったらまた塞がった、しまった!」とか、結構段取りに追われて肩が凝った体験、あれに似ていたかもしれません。理想と現実のずれ、みたいな...

その話を次回にでも。

*ちなみに、父はというと、3ヶ月経過した現在も⑵の小さな病院で入院中ですが「体調は絶好調!」と機嫌よく過ごしています。そして父のご機嫌な笑顔を見て、私も心置きなく最近は宙組公演を観に行ったり、友達と競輪に行ったりしながら仕事に集中できて、皆が笑顔になっているのでした。何も、先のことは解決していないけれども、父も笑顔で「快適」と言うし、私も時間ができて、姉も私への気兼ねの必要がなくなり安堵していて。なので久々にブログ更新してみました。

広告を非表示にする

親と宝塚と私。

f:id:shijimi25:20170323230220p:plain

介護用品を買うと、黒かネズミ色、銀色などの巨大な袋に入れてくださるんですが、透けなければいいのであれば、いっそサーモンピンクやミントグリーンの袋に入れて欲しいなと思ったりします。色が無理なら、おりたたむ時にシャカシャカゴワゴワするので、バレンタインチョコの外袋みたいなふんわり素材とまではいかなくても、少しだけシルキーな感じがあればありがたいんだけどなぁ...大人用のおむつなんだから隠さねばってことじゃなくて、せめてちょっとだけ夢のある袋に入れて欲しいなって...。日常の中で、郵便物に素敵な記念切手が貼られていたり、ちょっとした物を買った時に思いがけず素敵なラッピングにしてもらえた時に「ふふっ」となる感じ、小さなときめきが介護中だって欲しいなぁって。

 

最近はときめき成分の多くを宝塚歌劇団から摂取しているような具合なんですが、今、生活で新局面を迎えるにあたり、介護(現実)と宝塚(夢)との関係について整理するため振り返ってみます。

 

もともと4〜5年ほど前だったか、Web連載中のはるな檸檬さんの『ZUCCAXZUCA』がお気に入りで、登場するスターの名前や演目など全て意味不明ながらヅカオタの世界に興味津々でした。宝塚歌劇に、というよりファンの方が楽しそうで。

 

それが、 両親の入院が増えたり病状が深刻化して、「もうこれは地元に帰るしかないな」と判断して、10年ほど過ごした関東を離れて地元関西に戻ったことを機に宝塚とのご縁が始まった気がします。

 

まずは関東に住む友人の実家が宝塚にあり、親御さんが他界され今は空き家となり管理が大変で、「お墓参りの機会に風を通したり様子を見に行く」との話に興味を持ち、私もせっかく関西にいるからと訪問したのが2年ほど前。手塚治虫記念館と宝塚大劇場付近以外は案外、「乙女チックな宝塚」っぽくないんだなぁと思ったのが最初の接触。

 

次に宝塚を訪れたのは、毎年貸切公演に招待されているという兵庫の友人(非ヅカファン)から、関西に戻っているならご一緒にいかがと誘われて。小学生の頃以来の宝塚歌劇公演(宙組)でした。

1部のミュージカル『シェイクスピア』では舞台の床が回転して建物が動く仕組みにワクワクし、特に前から4列目で観た2部のショー『HOTEYES』で男女共(全部女性だけど)汗だくで激しく踊り歌い銀橋に並ぶ、ど派手なお姿に衝撃を受け、劇場そのものの華やかさにも心弾んだのでした。

風馬翔さんがお気に入りだという友人は、あっさり夕飯の支度に帰って行ったものの、私は一人キャトルレーヴやら花のみちをウロウロ、帰宅した友人から電話で「え、まだ帰ってないの〜」と引かれるほどに...

直後から『ZUCCAxZUCA』単行本全巻や宝塚関連本などを買い集めたのでした。

 

その後は両親とも入退院や手術があったり、絶望と希望のジェットコースターに乗っている感覚で、姉は仕事を休業状態、私は病室や待合でラフを描いて、家に帰ってパソコンで仕上げるという状態が続きました。

友人や仕事関係との約束をキャンセルしたり、行きたい映画や展覧会などは気付いたら期間が終わったりして、ヘロヘロになっていた頃、再び宝塚を訪問することに...

奇しくもそれは、母親がホスピスに入院した当日。

先述の、宝塚にある実家が空家になって遠方に住みながらの管理に困っていた友人が、実家の建物を葬儀社に貸して家族葬用の式場兼宿泊施設として使えるようにしたという話で、「一度自分の親の法事を行って体験してみる」とのことだったので、私も出席したのです。

法事の後、春間近の花のみちを歩きながら、可憐な花が好きだった母にここを見せたかったなと思ったり、その晩は『宝塚ホテル』に宿泊することになり、宝塚大劇場のオフィシャルホテルだったので、室内でスカイステージを見たり、部屋でケーキを食べたりひとりで夜の館内を散策(探検)したりして夢のような時間を過ごすも自分だけ楽しんでと罪悪感を覚えたりしつつ、その日を境に、宝塚大劇場や花のみちの光景が自分にとって特別な、ユートピアのようなイメージが焼きついたのでした。

 

 そして、宝塚ホテルに宿泊してから間もなく、母が他界。

覚悟していたものの、病院側からやんわり、しかしはっきり「迅速に葬儀の段取りを決めて引き払うように」促されたことで、悲しむよりも前に焦りと迷いが渦巻き、駅のホームの看板で見た葬儀社だとか近所で見かける葬儀場だとか、候補がぐるぐる...本人の意志により家族葬で親戚も呼ばずささやかにしたい、でも呼ばなくても近所の人は来てしまうのではないだろうか、近所の方を迎え入れたら親戚を呼ばないのは失礼だろうし..と混乱。結局、件の「葬儀社に宝塚の実家を貸している友人」に相談するうち「いっそ皆さんで宝塚に来て、うちで家族葬をしたら?」と。

それで通夜の日の朝、送迎車で家族一同宝塚へ向かったのでした。

「準備が整うまで、もしよければ観光でも...」と葬儀社の方に勧められ、劇場前で記念撮影をしたり、宝塚スターのポスターが壁に貼られたお店でランチをしたり。連日の睡眠不足や喪失感の反動なのか、どう見ても通夜の前とは思えぬ華やかなひと時なのでした。(兄がお店の方に了解を得て何枚も撮影した中の一枚)

f:id:shijimi25:20170323230509j:plain

葬儀の後は、直後から各所への手続きや、家族葬をしたことで問い合わせが多かったことで挨拶回りをしたり、父の世話をするために実家に引っ越す準備などにバタバタし、同居直後に父が入院と、立て続けに色々あって悲しむ間もない日々で、あまりに忙しいので「ああ、葬儀の時は宝塚でゆっくり静かに休めた二日間だったね」と姉と回想してばかり。

 

そうして宝塚での思い出に浸るうち、ネットで検索したりしていて宙組エリザベート』をどうしても観たいと思い立ち、二階席の一番後ろから2列目のチケットをなんとか入手。舞台はかなり遠くてどなたもとっても小さく見えるものの、プロローグのコーラスからゾゾッと鳥肌が立つほど興奮。むしろ全体が見渡せるこの席素敵、と感動。

 

それまでも宙組を検索したりパンフレットを見返したり、朝夏さん真風さんをはじめ宙組の多くの方を全体的に好きになっていた私でしたが、『エリザベート』観劇後、劇的な変化が起こりまして。

そう、ルドルフを演じておられた澄輝さやとさんのことばかり考え、黒天使とトート様に翻弄されるダンスのシーンを(家のことに振り回され翻弄される自分と重ねたかったのかどうか...)何度も脳内で再生することになったのでした。

 

今までも結構、サッカー選手のイニエスタや歌手のボーイジョージが好きな他にも、普段出会う一般の人に「あ、いいな」と思うというか、男女問わずバイト先やコーヒーショップの人などにファン感情を抱くことがあったり、例えば知り合いのお子さんのバレエ教室の発表会に行った時、全然見知らぬお子さんに目が留まり、バレエが上手かどうかは分からぬまま、目で追わずにいられなくて、別の場面でも彼女をすぐに見つけたりして。終演後、彼女は他の生徒に混じってロビーでご家族や知人とお話しておられたけれど、まさか握手やサインを求めるわけにもいかないですし...

『ZUCCAxZUCA』にもそんなエピソードが出てきたんですが、一般人の方を素敵だと思っても、ブロマイドとか売ってないしファンレターも送れないし、雑誌のインタビューも読めないし、行くあてのない気持ちはシャボン玉のように儚いんですよね。

でも、宝塚のスターさんは、ちゃんとスターとして清く正しく存在しておられるので、「わぁ素敵〜好き〜」というファン感情の持って行き場があるというか。

 

とはいえ、そうこうしているうちに、同居する父の病気&認知度の低下が進み、介護関係に時間を取られ、夜中にも細々としたことで手を取られ仕事に支障が出るようになり、パソコンの不調も同時に起こり、こむら返りと胃痛でスッキリ眠れない日が続いていたのです。

そんなある日、ネット上で見つけたお稽古入りの澄輝さんのお姿に衝撃を受けたのでした(お洋服は架空で創作)。

f:id:shijimi25:20170324013523p:plain

いつもの優しげな表情で持っておられる紙袋が(ファンの方の差し入れらしき、スターさんたちがいつもたくさん持ってらっしゃる様々な紙袋の中の一つ)、自分がデザインした商品だったのです。

数日後、またギャラリーの方撮影の画像がツイッター上に。そこでも自分がデザインした別配色の紙袋を持っておられて...うう。差し入れた方が偶然選ばれたにせよ、なんだか自分自身がバッグに化けてその場にいるような幸福感が...。

 

 誕生日に私が一番欲しがっていた、小林製薬の「コムレケア」(こむら返り予防の薬)とオペラグラスを贈ってくれた姉に、「しばらく旅に出たいけど、それは無理だろうから、せめて一泊、宙組の全国ツアーに行ってもいいかな」と切り出すと快諾してくれたので父を任せ、長年、松本清張記念館にも行きたかった念願の小倉へ行き、そこで澄輝さんの貴族姿(ロドリーゴ)も見届けて、初めて観て元気をもらったショー、『HOTEYES』を、全国ツアー版でもう一度観ることが出来て、海の幸やら色々美味しいものも食べて疲労回復、気力も回復したのでした。

 

息抜きをしたのもつかの間、年末ごろから数時間の外出もままならぬほどに父の体力と認知度がともに低下(要介護度は1から3へ)。

そんな中で、心待ちにしていた宙組大劇場公演、浅田次郎さん原作の『王妃の館』。父がデイケア(リハビリ)に出かける日なら13時公演を観終わってすぐ帰ればなんとか夕飯には間に合うし父を独りで待たせる時間も少なくて済むからと、万全を期して姉と見に行く予定日が近づいた頃、父が寝込み、看病の甲斐なく観劇予定当日に入院決定。数日間交代で看病していた姉も共倒れになり、気づけば病院で開演時間を迎えることに...

熱で朦朧とする姉が「宝塚、観てきて。今からでも間に合うなら私の分も..」と言うので、私は病院から猛ダッシュで向かい、息も絶え絶え大劇場へ。かろうじてショーには間に合い、ソーラン節など力みなぎる要素が満載、私の好きな翻弄される系のダンスシーンがあったり、宙組の美しいコーラスに胸が熱くなったり、澄輝さんのお姿も二階席から堪能し舞台写真等も買えて、そのおかげか、その後体調も崩さずに済んだのでした。

 

結局、父が入院して時間がぽっかりと空き仕事も順調だったので、姉を誘ったり別の日には競輪友達を誘い、ある時はこっそり一人でと、何度も『王妃の館』『VIVA!FESTA』を観に行ったのでした。笑いと美と暖かさとパワーを感じられるお芝居とショーで、どちらも良くて。そして、今までひそかに応援していただけなのに、ここへ来てファンレターを澄輝さんに送るという行動に出たのでした。(舞台の感想を言葉足らずにしたためた短めの作文のような...)

後日、郵便受けに澄輝さんからのお葉書が届いているのを見つけて、え、いつも不動産のチラシや請求書しか入っていない郵便受けが、こんなに素敵な箱に見えたことがあっただろうかと。いやぁ、こんなにワクワクしてお手紙を受け取るなんて、いつ以来だろう。雑誌のプレゼントに応募して当選した時のような、そんな素朴な喜びが蘇りました。

介護をしながら宝塚に親しむ、というのは、なんと両極端で、なんて健全なリフレッシュ法なのであろうかと。感動せずにはおれません。

 

姉と観劇した日、劇場で借りたオペラグラスを返し忘れたため、劇場に戻ったついでに、せっかくだから生まれて初めての「出待ち」をしてみたところ、その日は組総見というのか、整列したファンクラブ(会)の方たちの前へ、朝夏さん真風さん澄輝さん...宙組の人気男役さんたちが順番に続々と並ばれて...。日頃、病院や施設で超高齢者化社会を目の当たりにしすぎているせいか、眼前に発生した、若さ、美、和気藹々という要素すべてが非現実的で夢のような光景に見えたのでした。いつも介護で若さ(もはや若くないのに)を吸い取られる気がしていたのに、その場にいると逆に若さをチャージできそうな、近所の神社のご神木、大楠のそばへ行った時の澄んだ空気に似ている気がするなと...

「今まで部活動とかにも入ったことないし青春ってのがあんまりなかったから、介護がなかったら、私も思い切って会に入ったりしてあんな風に応援してみたかったかもなぁ〜フリーランスだから平日も動けるし..」とつぶやくと、姉は「いつかは出来るんじゃない?介護は永遠に続くわけじゃないし」と。

そこで気づいたのです。今目の前にいるスターさんを応援しようと思ったら、「いつか」では遅いのだと...

それからしばらく後のことでした。雪組の退団者発表や宙組のトップスター、朝夏まなとさん退団の発表...

姉との会話があっただけに、自分でもびっくりする位にショックを受けることに。

娘役さんの場合は、退団後すぐにそのままのお姿で舞台等で活躍されそうな気がして華やかな門出のイメージなのだけど、男役さんは今のお姿そのままではないし....

 

この数年、実際にはもう10年近く、親の介護や治療のために新幹線で頻繁に遠距離移動したり、高額な治療費を出したり、病院では診察待ちや手術待ち、検査待ちなどで何時間も、時には半日以上待ったり、それも連日だったりして。それらは案外ヅカファン(遠征したり、チケット代その他いろいろお金を使ったり、入り待ち出待ちしたり)に近い行動かもなと今になって思います。親の介護の場合、お茶会とかグッズ販売とか、特にときめくイベントはないですけど。

私も時と場合によってはしっかりファン活動する素質あったかも...なんて。

実際には、もっと時間的な自由があったなら、ひとり旅に出たり、ものづくりをしたり、以前のように別の趣味を楽しんでいただろうから、介護と宝塚は自分の中でワンセットなんだろうなと思うんですが、でも介護が終わったとしても、母や父の思い出(父は存命だけど)とセットになって、自分にとって憩いというか暖かなイメージのままなんだろうなと。

姉と目の当たりにしたタカラジェンヌの輝き。どなたも限りある存在だからこそ応援したくなるのだと気づくことで、今自分がそばにいるべき父の残り時間も有限で、介護は永久ではないのだと気づけました。今は父を見守り支える時だよなと。だからこそ、矛盾するようだけど、施設を利用したりして、宙組公演も出来るだけ観たいなと。姉も同居の私の負担を軽くするのを願って「どんどん観劇予定を入れて遠征にも行っておいで」と勧めてくれて。や、まぁそれは姉も働き出したので限度はあるんですが。

 

最近、苛立った時や疲れる出来事があると、2017ダイアリーの裏ポケットに入れた澄輝さんのポケットカレンダーをチラっと見るようにしていて、まさに、小さな御本尊状態なのですが、もう一方のポケットには私の心の師、ねずみ男のシビアな格言でもコピーして入れておこうと思っています。夢も大事だけど時にドライに強くふてぶてしくならねば。

以上、すんごい長文になって、知り合いの人には絶対読まれたくない内容になってしまった。いよいよクマ父(過去の記事参照)が退院して来ることで、新しい扉が開きそうな恐れと好奇心で綴ってしまいました。

広告を非表示にする

お金で買えないおもてなし。

f:id:shijimi25:20160618232829p:plain

 

大人になってから、友達との遊び方は相手にもよるけれど、たいていパターン化してくるところがある。

おおまかに言って、多いのはランチと散歩、または散歩と夕食、という感じ。

散歩の中には、雑貨店めぐりがあったり、美術館へ寄ることもあるし、目的地まで、いつもは選ばない道をあえて使う路地裏散歩もあるような…。いずれにせよ、食事だけして別れることも増えては来たけれど、例え10分程度でも、誰かとぶらぶら散歩するのは楽しい。

などと思っていたけれど、この前、久しぶりにドライブに連れて行ってもらった。目的地へ送ってもらう以外に、ドライブを楽しむために山道を走るなんていうのは、ひょっとすると十年以上ぶりかもしれない。

年上の友達で、年齢だけでなく住まいも生活環境も、もともと随分自分とは違う人だけれど、それでも今までは電車で出かけて待ち合わせ、徒歩かタクシーで移動する程度だったから、愛車に乗せてもらうというのは十数年の付き合いの中ではじめてのことで、少し緊張した。どんなところへ連れて行ってもらえるのか、ワクワクもあった。

連れて行かれたレストランは、車でなければたどり着けないような山道の先の湖畔にあった。そしてガラス窓からは絶景が見えたし、ゆったり会話をしつつ素晴らしいお料理をご馳走になった。そこですべての楽しさとおいしさを堪能してしまって、その日のイベントがすべて終了したような気分になるほどだった。

店を出て、車に乗る時に、友人から「これからどうする?温泉街へ行ってみるか、さらに山の方をドライブするか、それとも来た道を引き返してウチへ来る?」と聞かれたわたしは、咄嗟に選べず目が泳いでしまった。日常とはまるで違う場所で、久しぶりのしゃれたドライブにぼーっとして、自分がこの後何をしたいか、まるで思いつかず、かろうじて、友人の新居へ訪問してみたい、という希望が口から出たというか…

来た道を帰る、というパターンは、わたしは本来好きではなく、同じ道を戻るより断然別の道をたどって戻る方が発見があるから好きで、要するに引き返すのが嫌いなのに。

それなのに、来た道を戻って友人の家へ行くという選択をしてしまって、せっかくのドライブなのにもったいなかったかな、と…

けれど、ドライブウェイでの「来た道を帰る」は、まったく別の風景を目にすることでもあると、車窓から瑞々しい緑のアーチが風に揺れて木漏れ日を通す光景を見て思い知った。そうかそうか、道を戻るのは、来た道とは左右が反対の風景というか、木の裏側を見ることになるというか、時間帯が違えば緑の濃さも変わって見えるし、同じ道でも行きと帰りはまるで違うんだなと。

そして、ある所にさしかかると、友人がふいに脇道へ車を進めた。

「少し寄り道しましょ」と、彼女は細く蛇行する道へスピードをゆるめ入って行った。

道はどんどん狭くなり、左右の木が迫り薄暗くなった未舗装の道幅の狭い山道の上り切ったところで車を停め、「あなた、今日はどんな靴を履いて来た?ああ、長靴なら大丈夫」と言って、友人は車を降りるよう促した。

「これからとっておきの、天空の秘密の場所へご案内します」

彼女は慣れた様子で、金網の扉から脇の山道をさっさと上っていった。

わたしも後に続いて急な山道の、まばらに置かれた石段や凹みをたどって上を目指した。

「さぁ、この先よ。ほら見て、わたし、夫とよくここで、おにぎり持って来て過ごすの」と彼女が指差した先に、昔日本画の授業で目にした与謝野蕪村の絵のような、そこよりさらに高い向かいの山の中腹に寺院の伽藍が並び、はるか下にミニチュアのような町並みが曇り空の下でかすんで見えるという、なんとも古風な風景がひろがっていた。ひろがる、とはいってもパノラマではなく、山頂には巨岩がいくつもあり、かつての磐座信仰を彷彿させる神秘さをたたえていた。今わたしの暮らす町には外国人観光客があふれているというのに、その山頂には観光客どころか地元の人さえ立ち寄らないような異界っぽさがあった。なんていうのか、2001年宇宙の旅の冒頭のシーンで出て来そうな…

もっと色々と眺めていたいし、その場所の由緒も知りたいし、さらに先まで進んでいって地形を確かめたかったかったけれど、車を道の途中に停めて来ただけに「一瞬で降りてきましょう」と最初に決めていたので、そそくさとわたしたちはその場を去ることになった。

おそらくもう二度とわたしはその場所にたどり着けない気がするけれども、わたしと同様に引っ越しの多い人生の彼女たち夫妻が、おそらく数年先の次の引っ越しまではその秘密の場所で時おりのんびりと時間を過ごすだろう光景は、わたしの中で勝手に日本昔ばなしのような、というか蕪村タッチで何度も再生されて、すっかり心に残ってしまった。

 

その日、家に帰り着いてからも、とっておきの場所へ案内してもらったことへの静かな感動のようなものが、ほのほのと自分の心に残り続けた。

今また引っ越しのために本を段ボールにしまったので確認できないけれど、

たしか高野文子さんの『棒がいっぽん』という作品の、巻頭の漫画(「美しきまち」だったか)に、工場の近くの社宅に暮らす夫婦が休日に、近所の山(丘?)に上ってお昼を食べる、自分たちが暮らす街を眺めながらのんびり過ごす、そんな作品があったのを思い出し、また、近藤ようこさんの『遠くにありて』では東京で暮らしたい気持ちを抱えたまま、刺激の少ない故郷で教員を続けるのが不本意でならない主人公が、やがて地元で伴侶を見つけ、東京へは戻らず地元で暮らそうと決意して下宿先を去るときに、大家さんに駅まで見送られる途中で、寄り道をして大家さんの「とっておきの場所」へ案内されるシーンでも、自分の暮らす町を見下ろせる高い所へと上る様子が描かれていたのを見返したくなった。

そうなんだ。人にはとっておきの場所があるものなんだよな。

悲しい時やさびしいとき、気分を変えたい時にそこを訪れて深呼吸するだけでなんだか大丈夫だと思えるような場所が。そして、他の誰かが弱っているのを見たとき、人は、そこへ案内して励まそうと思い立つのかもしれない。

確かに、今少し疲れていて視野が狭くなっていた今のわたしにとって、一瞬の天空の光景は、時空を超えた旅をしたような、なんだか壮大な出来事だった。

そういえば、わたしも、箱根湯本の山道を温泉宿への送迎バスで通る時に、遠い記憶の中の、大切な風景を思い出すデジャヴのようなことが何度かあったし、湯河原の道でも同じような感覚があったし、他にも鳥取と島根でも、なんだか懐かしいような悲しいような、そんな光景に出会ったことがある。でも、漠然としていてそれらが「とっておき」かどうか自信がないのだけれど。

わたしがこんなにも散歩が好きなのは、ひょっとして、とっておきの場所をずっとずっと無意識に探しているんだろうか。

今度、彼女がわたしの暮らす町にたずねて来るときには、今わたしが気に入っている場所へ案内したいと思う。でもそれは、とっておきじゃなくて、駅のホームのラックにあったフリーペーパーで紹介されていて知った、観光客も結構訪れるお寺なのだけれども。

そんなこんなで、未知との遭遇に感動の巻。

広告を非表示にする

三者面談に汗。

f:id:shijimi25:20160305003058p:plain

入院中の父の退院の目処がたち、栄養士と薬剤師からお話があるので娘さんも同席してください、と病院から連絡を受け、指定された時間に病院へ行きました。同じ日時に母の診察も重なったので、父の方をわたしが担当することに… 

栄養士さんからは食事の指導やアドバイス、薬剤師さんからは入院後に処方されたお薬の説明とこれまで飲んでいて今後も引き続き飲むお薬の説明で、どちらも病室のベッドに患者と二人で腰掛けておとなしく説明を受ける、というものでした。

 

それらのお話が終わり、さて、その日の用事は終わったなと思って、診察中の母の方に合流して、その後の検査は姉にまかせて、とりあえず昼も食べてないしコンビニでカフェラテとチョコ菓子でも買って休憩しようかなと思ったら父担当の看護師さんから携帯に電話があり、「わたしからもお話があるのでこちらへ戻っていただけますか」と。

買ったカフェラテの飲み残しを片手に、呼ばれた談話室へ…

そこにはすでに父が腰掛けており、テーブルの上には父の病気にまつわる分厚い冊子が…

それは入院数日後から病室に置いてあり、パラパラとは見ていたものの、免許更新時の教則本みたいな感じで実はしっかりは読んでいなかったその冊子、テーブルで対面した看護師さんはおもむろに背表紙をこちらに見せるように立て中味を見えないように一ページ目を開いてらっしゃる。

なぁんか嫌な予感がするなぁと思ったら…

「それでは、退院の日程も決まりましたし、これからいくつか今回の病気について質問をさせていただきます」と。

びくぅっ。こういうの、苦手なんだけどなぁ。すがるように父を見るわたし。姿勢を正す父。

 

看護師さんは父に向かって、第一問。

「それでは○○さん。今回、ご自分が何の病気で入院されたか、その病名をご存知でしょうか。お答え下さい」

汗。わたしは症状は聞いていたものの、正確な病名が何なのかいまだに知らなかったんですが…

ぼやーっと口を開けて、半分寝ているような顔つきの、着ぐるみの熊のような姿の父が、聞こえているのかどうかわからない顔で動かないので、え、もしかして父がダメならわたしが答えるの?無理、どうしよ。心臓の具合が悪いとか、水がたまった的なことしか答えられないよぉ…

と思ったら父がよどみながら、不思議と専門用語も交えつつ答え、

「はい、正解です」と褒められた。

テキストを隠しながら、看護師さんの質問は続くのです。

「それでは、その病気には主にどんな症状がありますか。お答え下さい」

別に眉をしかめるでもなく、お地蔵さんのような表情でしばらくフリーズしたかと思うと…

「それはですね…足や顔がむくんだり、あとは、しんどいですね。それから…体重が増えました。そして血圧が…高くなりました…」

「はい、そうです」正解。その後も、どんどん問題が出されたのでした。

「では、この病気は、心臓がどのようになって起るものでしょうか。一体、からだの中でなにが起っているでしょうか」

「そうなると何が問題なのでしょうか」

「その症状は、何が原因で起ったと考えられますか」

「それでは、今まで○○さんが生活面で気をつけてこられたこと、今回もしかしてこれが病気の原因になってしまったと反省されることはそれぞれなんでしょうか」

「では伺います。そのような症状が再び起った場合は、どのような方法をとられますか」

「それでは、食事の中で一番気をつけるべきことはなんでしょうか」

「お風呂で注意する点はどういうところでしょうか」

数々の質問の中で、わたしが一番ビクッとしたのが、次の質問でした。

「では、○○さんに今回の病気にかかわるお薬をあらたに飲み始めていただいていますが、それらのお薬の効果はどんなものか理解されていますか。すべてお答え下さい。」

 

ひえ〜。こわい。

確かに、つい1時間程までに薬剤師さんから薬の説明はあったのです、副作用まで事細かく。しかし、合計10種類あり、そのうち今回あらたに出されたものは3種類だったものの、以前に出されたものと効果が重複するものもあり、途中で「まぁこれは、症状が治まったら外来で先生に相談の上で量を減らしたり飲むのをやめてもよいお薬です」とかいう備考だったり、「以前と同じお薬なんですが、これは前のブルーではなくグリーンのパッケージで容量が一粒の中で少なくなって、その代わり前は一錠だったのが今度から二錠になっています…」とかいうプチ情報があったりして、そういうのを延々聞いていると、賃貸借契約の重要事項説明を聞く時のように眠気が襲って来て、父はあきらかに途中から寝ていたはずなんですが…

 

しかしなんとかわたしもあやしい記憶をたどりつつ助け舟を出し、熊父は見事に正解を出したのでした。

上手い具合に必要なキーワードもちゃんと口にしていたし。

なんかすごい、と思いつつ、何かに似ていると思ったら、インコが飼い主の口癖を覚えていて、突然再現するあの様子だったのでした。

例えば動物園でおしゃべりする鳥にこちらが話しかけて、鳥が何か言葉を発するまでのあの変なズレというか…ああいう感じ。

少し誘い水のようなワードを耳元でささやくと、先生や看護師さんから何度も聞いたとおぼしき病気に関する注意事項や説明などを滔々と繰り返すような。情緒のこもらない言葉は、セキセイインコ等のアレそのものなのです。

 

そういえば同じようなことを別のジャンルでも父はやっていました。暇つぶしにと病室に差し入れた「懸賞付き間違い探し雑誌」 の、間違い探し自体はせずに、間違い探し用に描かれたイラスト(かわいらしい若向けの絵)をそっくりに、いや陰影を細かくリアルに描いて、オリジナルより深みとすごみが出ていたあの感じ。

そういえば昔からオードリーヘップバーンの写真などを鉛筆で精密模写していたなぁ、先生から説明を受けた話を細かく正確に覚えて口からお経のように出て来るのも、ちょっとそういう才能なのだろうか…と。

 

父がこたえてくれなければ、わたしが叱られていたかもしれないわけなので…久しぶりに頼もしくありがたく思えたひとときでした。

 

大きな病院にお世話になると、不調→検査→数値や画像で異常がなければ経過観察、異常が数値化、視角化されれば原因究明と治療、または生活指導やリハビリという流れになっていて、その前に、不調があると先に近所のかかりつけ医にお世話になるものの、検査が詳細に出来ないこともあって原因が分からぬままになって、結局悪化して救急か紹介状で大病院へ…というくり返し。

なかなか生きるのも死ぬのも大変だな…と気が遠くなりそうなワタシ。

以前、他の家族のために、自宅で医療用具を使う練習(震災や事故時の備えなどまで説明を受けたり)をしたときに、姉とふたりで看護師さんの前で実践してチェックしていただくものの、視線を感じて動きが硬くなり、ハサミの使い方だとか段取りなどが明らかに間違っていたりして、「あわわ」となるようなことがありましたが、今回のような質問にはさらに緊張します。一見ちゃんとしているように見えて人の話を半分以上聞いていない、そそっかしいのと無責任な自分としては焦るわけです。例えば連れと二人で道に迷い、通りすがりの誰かに行き方を教わる時、その説明を「相手が聞いているだろう」とたかをくくってほとんど聞かない、あの感じ。そのツケが思いがけないところで返って来るとは…

 

ああ、父のように泰然自若でありたい。

と思ったら、帰りがけに「今日はシャワー浴びてくださいね」と看護師さんに促され、足取りも重く「ついに…観念するしかないのかなぁ。いよいよ今日はシャワーしないといけないのか…」と項垂れる熊なのでした。

そういえば父は入院当初、絶対安静と医師から言われ、「僕が恐れている最悪の結果が訪れるかもしれません」としきりに口にしていたわけなのですが、それは「死」ではなく「カテーテル検査」を指していたし、カテーテル検査が思いのほか楽に終わり、ご機嫌になった父の次の不安は「大部屋への移動がこわい。覚悟を決めないと…」というものでしたし。

まるで、テレビ東京の『路線バスの旅』で旅館(民宿)宿泊を嫌がりホテルを主張する蛭子さんにダブるなぁ…

姉によると昔の父とはまったくキャラが違うそうで、昔のままだったらこんなに世話できてないわ〜とのことなので、脳梗塞や老いが良い方へ働いた好例なのかなと。

いやぁ、もはや自分の父とは思えないけど、一体誰なのかというと、身近な存在ではあるわけで。面白い熊さんだなぁ。

広告を非表示にする

介護に励む姉に捧ぐ。

f:id:shijimi25:20160226194425p:plain

先日風邪で寝込んだ時に、咳が止まらず高熱に苦しんでいたせいか、なんとなく絶望的な気分になったわたしは、そんな気分に合いそうな一冊として、夏目漱石の『こころ』を久しぶりに布団の中で読み返したのでした。

すると、先生と下宿先のお嬢さんと親友との間の話という印象とはまったく違って、「先生」の謎めいた孤高の様子に惹かれ、その謎を探ろうとする主人公が、帰省して病気の父を見舞い、臨終が近づく数日間親族と過ごす中で「父なき後の実家や母を、きょうだいの誰が支えるのか」という現実問題にさらされ、兄や嫁いだ妹には今の暮らしがあり生活を変えるのはもはや無理だから、就職前の自由の身である「私」にそれを背負わされる空気が漂う、「両親と私」という二部にこんなに重心がかかっていたのかと驚きました。

ちょうどわたしが、姉とともに病気の両親をそばで見て、あるいは時に「看て」いるからかもしれませんが。

 

年末 に母が退院して、それからずっと体力が戻らず不調を訴え続け、三ヶ月先の予定だった経過観察や検査の予約を前倒しにして、早めに診察を受けたところ「問題無し、しんどいのは普通なので、あとひと月は徐々に回復するまでご飯をたくさん食べて頑張りましょう」と担当医に言われて帰宅して、安心したのも束の間、その翌日に今までの病気とは無縁のはずの脳梗塞になり、救急車で運ばれて入院したのでした。

前日に診察を受けていたのに…待ち時間や検査などで何時間もかかったのに…付き添った姉も、検査で長時間しんどい思いをした母も気の毒でしたが、脳梗塞だけは前もって分からないものなんですね。

 

同じ日、同じ時間、同じ病院で、わたしは父と循環器科を訪れていました。父も昨年入院した後の、9ヶ月後検診に向けての診察でした。やはり、この時点で一度カテーテル検査が必要だと説く医師に、その検査が恐怖だった父は(歯科医院のドリル?の音が嫌いな父には同種の怖さがあるらしい)平身低頭でねばってお願いして全力で拒否していました。

あまりにも父が低姿勢で(蛭子さんのような態度で)どうにか許してください…あれだけは…と言うので医師がとうとう「分かりました、では、アイソトープ検査にしましょうか。ただ、午前中から来ていただいて夕方遅くまでかかりますが」と仰ったのでした。

わたし、感心しちゃいました。医師がどうしても、と仰るものは必要なものかと思っていましたが、嫌な場合って、逃げ道があるんだなぁ、と。

以前、脚の手術が必要だと言われた際も父は全力で嫌がって断って、その後10数年経って、脚の痛みもないようなので…あの手術、受けてたらどうなっていたのかなぁと。

マイペース、鈍感力の父には色々と学ぶところがあります。

で、アイソトープ検査という最先端のものを体験できると知った父はご機嫌になり、「何時間でも大丈夫です、待つのはワタシ、平気なんです」と満面の笑みに…付き添うわたしがその日、仕事を中断して午前中から夕方まで空けることになるということには一切無頓着なんだよなぁ…と苦笑したものでした。

 

その翌日、前述の通り母が入院したわけなんですが、入院が決まるまで、救急車で運ばれてから検査を受ける間、待合室で何人か診察待ちの方と一緒に姉と二人、待機していて、そこにマスクをしないでひどく咳き込んでいる方がいて、「こわいねぇ」と(我々はマスク着用で)言っていたら、その晩から私は喉に違和感を覚え、翌日には咳がとまらずに熱も上がり、それから三日間は外出もできなかったのでした。その、熱が一番ひどい日に『こころ』を読んだのでした。

姉が新しい仕事先へ行き始めたところだったのに、通えなくなり断ることになり、入院した母関連で病院との連絡や実家に残った父の世話をひとりでしなければならないなんて申し訳ない…でもこの咳を姉にうつしたらエラいことになってしまう…悶々としながら『こころ』を呼んで、先生の自己完結する様子に苛立ちすら覚えたりしたのでした。 

 

わたしは結局、母が一般病棟へ移ってからもしばらく病院を訪れることも出来ず、実家に行って手伝うこともせずに、逆に寝ていた数日を取り戻すように仕事もしたせいで、一切を姉に任せて過ごしたのでした。

 

そして母が、奇跡的に後遺症もほぼなく無事に退院して、再発には気をつけつつ元通り日常生活が送れるとのことで、顔色も体調もよさそうだったので「ああ、ホッとしたね。まぁ何はともあれよかった」と夕食をともにして、その翌日は姉もわたしも仕事が出来て、この調子で徐々によくなってくれればと思ったのも束の間、退院2日後に母は体調を崩し、近所の先生に往診をお願いしたとの連絡を受けたのでした。

同じ日に、父が出先で体調を壊し、循環器科へ姉が連れて行き、長い時間待って検査をした結果、こんどは父が入院することになったのでした。一週間後にアイソトープ検査を受ける予定だったところだったのに…その前に倒れてしまうとは。

なんか、このところずっとずぅっと、病院を訪れているなぁ…もう去年からずっと。

二人とも、それも、ひとつの科ではなくていくつも。そして一軒ではなく何軒もの病院にお世話になっています。

両親とも、絶妙のタイミングで交互に、大きな病気→少し回復→大きな病気→結構大変→やや安定→急変、というループにはまっているような気がします。

 

ひとつ解決して安堵して、という安堵もわずか1〜2日で、長くても半月ほどしか穏やかな日が続かず、いつも突然の電話で実家や病院へ向かうことになる。

それでもわたしは体力がないのか、仕事が忙しいせいなのか、そして自転車にも乗らない徒歩行動のせいか、いつもすばやい動きをとるのはバイクに乗り短期派遣と自営の二足のワラジで働く行動的な姉の方なのです。

父が入院することになったその日、姉にとって、介護のためしばらく休職して復帰するための大事な面接の日(その直前にも決まっていた職場を母の入院でやめたのでその後見つけた先の)だったわけで…父に付き添うために、姉は面接を棒に振ったのです。

わたしはというと、往診を頼んだ母を見舞うために実家に向かったとは言え、締め切り当日だったので、2時間仕事をしてからという自分のペースで行動したわけで…

 

それにしても、不思議なことに、母の脳梗塞も、父の心臓の不具合も、原因や問題の箇所などは全く分からなかった。

分からないままに、生活習慣の改善なり、検査画像に一番あてはまるであろう薬の服用で様子をみる、ということで、また帰宅することになるのです。

 

不思議といえば、そんな状態なのに、兄が帰省すると、病人だったはずの母が布団も干して(指示を受けた姉が干すのですが)はりきってビールを用意して料理も腕を振るってもてなすそうなので…ふーん、世話をする係と王様扱いされるものと、その差って何。男女だけの差じゃないよなぁと、イラッとします。

もちろん、家族だからって世話をするのが当然なわけじゃないし、兄は会社員だし休めないし遠くに住んでいるんだから…とは思うんだけど私も姉もフルタイムで働かねばならない身で、私は親のために地元に戻って来たんだけれども。兄は友人がいるし地元を長く離れたからいまさら帰れないし、とか言うし。う〜ん。そんなことを考えるにつけ「こころ」の二部のことをつらつらと思い出すのであります。

 

この前久しぶりに姉が仕事の合間にわたしのブログを読んだそうで、そこにある家族の病気の話などで、「いろいろお互い大変だったねぇ」と思い出し、ねぎらってくれた。

 

今日のブログは姉のために書きました。とかいいつつ、自分の愚痴のはけ口にしちゃいました。

姉と温泉にでも行ける日が来るといいなと願うことは、ふと、縁起でもないことなのかもしれないと思いつつ、「あ、まぁ緊急時に1時間半くらいで帰れる場所なら行ってもいいか〜」と思い直しました。はは。

ずっとこんな状態なので、もし私の知り合いの方がこれを読んでも、どうか負担に思わないでください。ああ、また親御さん大変ね〜くらいで。見て見ぬ振り的なアレで…

プリーズ。

広告を非表示にする