hanihostamp penguinblog

のほほん、ペンギンライフ。

親と宝塚と私。

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介護用品を買うと、黒かネズミ色、銀色などの巨大な袋に入れてくださるんですが、透けなければいいのであれば、いっそサーモンピンクやミントグリーンの袋に入れて欲しいなと思ったりします。色が無理なら、おりたたむ時にシャカシャカゴワゴワするので、バレンタインチョコの外袋みたいなふんわり素材とまではいかなくても、少しだけシルキーな感じがあればありがたいんだけどなぁ...大人用のおむつなんだから隠さねばってことじゃなくて、せめてちょっとだけ夢のある袋に入れて欲しいなって...。日常の中で、郵便物に素敵な記念切手が貼られていたり、ちょっとした物を買った時に思いがけず素敵なラッピングにしてもらえた時に「ふふっ」となる感じ、小さなときめきが介護中だって欲しいなぁって。

 

最近はときめき成分の多くを宝塚歌劇団から摂取しているような具合なんですが、今、生活で新局面を迎えるにあたり、介護(現実)と宝塚(夢)との関係について整理するため振り返ってみます。

 

もともと4〜5年ほど前だったか、Web連載中のはるな檸檬さんの『ZUCCAXZUCA』がお気に入りで、登場するスターの名前や演目など全て意味不明ながらヅカオタの世界に興味津々でした。宝塚歌劇に、というよりファンの方が楽しそうで。

 

それが、 両親の入院が増えたり病状が深刻化して、「もうこれは地元に帰るしかないな」と判断して、10年ほど過ごした関東を離れて地元関西に戻ったことを機に宝塚とのご縁が始まった気がします。

 

まずは関東に住む友人の実家が宝塚にあり、親御さんが他界され今は空き家となり管理が大変で、「お墓参りの機会に風を通したり様子を見に行く」との話に興味を持ち、私もせっかく関西にいるからと訪問したのが2年ほど前。手塚治虫記念館と宝塚大劇場付近以外は案外、「乙女チックな宝塚」っぽくないんだなぁと思ったのが最初の接触。

 

次に宝塚を訪れたのは、毎年貸切公演に招待されているという兵庫の友人(非ヅカファン)から、関西に戻っているならご一緒にいかがと誘われて。小学生の頃以来の宝塚歌劇公演(宙組)でした。

1部のミュージカル『シェイクスピア』では舞台の床が回転して建物が動く仕組みにワクワクし、特に前から4列目で観た2部のショー『HOTEYES』で男女共(全部女性だけど)汗だくで激しく踊り歌い銀橋に並ぶ、ど派手なお姿に衝撃を受け、劇場そのものの華やかさにも心弾んだのでした。

風馬翔さんがお気に入りだという友人は、あっさり夕飯の支度に帰って行ったものの、私は一人キャトルレーヴやら花のみちをウロウロ、帰宅した友人から電話で「え、まだ帰ってないの〜」と引かれるほどに...

直後から『ZUCCAxZUCA』単行本全巻や宝塚関連本などを買い集めたのでした。

 

その後は両親とも入退院や手術があったり、絶望と希望のジェットコースターに乗っている感覚で、姉は仕事を休業状態、私は病室や待合でラフを描いて、家に帰ってパソコンで仕上げるという状態が続きました。

友人や仕事関係との約束をキャンセルしたり、行きたい映画や展覧会などは気付いたら期間が終わったりして、ヘロヘロになっていた頃、再び宝塚を訪問することに...

奇しくもそれは、母親がホスピスに入院した当日。

先述の、宝塚にある実家が空家になって遠方に住みながらの管理に困っていた友人が、実家の建物を葬儀社に貸して家族葬用の式場兼宿泊施設として使えるようにしたという話で、「一度自分の親の法事を行って体験してみる」とのことだったので、私も出席したのです。

法事の後、春間近の花のみちを歩きながら、可憐な花が好きだった母にここを見せたかったなと思ったり、その晩は『宝塚ホテル』に宿泊することになり、宝塚大劇場のオフィシャルホテルだったので、室内でスカイステージを見たり、部屋でケーキを食べたりひとりで夜の館内を散策(探検)したりして夢のような時間を過ごすも自分だけ楽しんでと罪悪感を覚えたりしつつ、その日を境に、宝塚大劇場や花のみちの光景が自分にとって特別な、ユートピアのようなイメージが焼きついたのでした。

 

 そして、宝塚ホテルに宿泊してから間もなく、母が他界。

覚悟していたものの、病院側からやんわり、しかしはっきり「迅速に葬儀の段取りを決めて引き払うように」促されたことで、悲しむよりも前に焦りと迷いが渦巻き、駅のホームの看板で見た葬儀社だとか近所で見かける葬儀場だとか、候補がぐるぐる...本人の意志により家族葬で親戚も呼ばずささやかにしたい、でも呼ばなくても近所の人は来てしまうのではないだろうか、近所の方を迎え入れたら親戚を呼ばないのは失礼だろうし..と混乱。結局、件の「葬儀社に宝塚の実家を貸している友人」に相談するうち「いっそ皆さんで宝塚に来て、うちで家族葬をしたら?」と。

それで通夜の日の朝、送迎車で家族一同宝塚へ向かったのでした。

「準備が整うまで、もしよければ観光でも...」と葬儀社の方に勧められ、劇場前で記念撮影をしたり、宝塚スターのポスターが壁に貼られたお店でランチをしたり。連日の睡眠不足や喪失感の反動なのか、どう見ても通夜の前とは思えぬ華やかなひと時なのでした。(兄がお店の方に了解を得て何枚も撮影した中の一枚)

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葬儀の後は、直後から各所への手続きや、家族葬をしたことで問い合わせが多かったことで挨拶回りをしたり、父の世話をするために実家に引っ越す準備などにバタバタし、同居直後に父が入院と、立て続けに色々あって悲しむ間もない日々で、あまりに忙しいので「ああ、葬儀の時は宝塚でゆっくり静かに休めた二日間だったね」と姉と回想してばかり。

 

そうして宝塚での思い出に浸るうち、ネットで検索したりしていて宙組エリザベート』をどうしても観たいと思い立ち、二階席の一番後ろから2列目のチケットをなんとか入手。舞台はかなり遠くてどなたもとっても小さく見えるものの、プロローグのコーラスからゾゾッと鳥肌が立つほど興奮。むしろ全体が見渡せるこの席素敵、と感動。

 

それまでも宙組を検索したりパンフレットを見返したり、朝夏さん真風さんをはじめ宙組の多くの方を全体的に好きになっていた私でしたが、『エリザベート』観劇後、劇的な変化が起こりまして。

そう、ルドルフを演じておられた澄輝さやとさんのことばかり考え、黒天使とトート様に翻弄されるダンスのシーンを(家のことに振り回され翻弄される自分と重ねたかったのかどうか...)何度も脳内で再生することになったのでした。

 

今までも結構、サッカー選手のイニエスタや歌手のボーイジョージが好きな他にも、普段出会う一般の人に「あ、いいな」と思うというか、男女問わずバイト先やコーヒーショップの人などにファン感情を抱くことがあったり、例えば知り合いのお子さんのバレエ教室の発表会に行った時、全然見知らぬお子さんに目が留まり、バレエが上手かどうかは分からぬまま、目で追わずにいられなくて、別の場面でも彼女をすぐに見つけたりして。終演後、彼女は他の生徒に混じってロビーでご家族や知人とお話しておられたけれど、まさか握手やサインを求めるわけにもいかないですし...

『ZUCCAxZUCA』にもそんなエピソードが出てきたんですが、一般人の方を素敵だと思っても、ブロマイドとか売ってないしファンレターも送れないし、雑誌のインタビューも読めないし、行くあてのない気持ちはシャボン玉のように儚いんですよね。

でも、宝塚のスターさんは、ちゃんとスターとして清く正しく存在しておられるので、「わぁ素敵〜好き〜」というファン感情の持って行き場があるというか。

 

とはいえ、そうこうしているうちに、同居する父の病気&認知度の低下が進み、介護関係に時間を取られ、夜中にも細々としたことで手を取られ仕事に支障が出るようになり、パソコンの不調も同時に起こり、こむら返りと胃痛でスッキリ眠れない日が続いていたのです。

そんなある日、ネット上で見つけたお稽古入りの澄輝さんのお姿に衝撃を受けたのでした(お洋服は架空で創作)。

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いつもの優しげな表情で持っておられる紙袋が(ファンの方の差し入れらしき、スターさんたちがいつもたくさん持ってらっしゃる様々な紙袋の中の一つ)、自分がデザインした商品だったのです。

数日後、またギャラリーの方撮影の画像がツイッター上に。そこでも自分がデザインした別配色の紙袋を持っておられて...うう。差し入れた方が偶然選ばれたにせよ、なんだか自分自身がバッグに化けてその場にいるような幸福感が...。

 

 誕生日に私が一番欲しがっていた、小林製薬の「コムレケア」(こむら返り予防の薬)とオペラグラスを贈ってくれた姉に、「しばらく旅に出たいけど、それは無理だろうから、せめて一泊、宙組の全国ツアーに行ってもいいかな」と切り出すと快諾してくれたので父を任せ、長年、松本清張記念館にも行きたかった念願の小倉へ行き、そこで澄輝さんの貴族姿(ロドリーゴ)も見届けて、初めて観て元気をもらったショー、『HOTEYES』を、全国ツアー版でもう一度観ることが出来て、海の幸やら色々美味しいものも食べて疲労回復、気力も回復したのでした。

 

息抜きをしたのもつかの間、年末ごろから数時間の外出もままならぬほどに父の体力と認知度がともに低下(要介護度は1から3へ)。

そんな中で、心待ちにしていた宙組大劇場公演、浅田次郎さん原作の『王妃の館』。父がデイケア(リハビリ)に出かける日なら13時公演を観終わってすぐ帰ればなんとか夕飯には間に合うし父を独りで待たせる時間も少なくて済むからと、万全を期して姉と見に行く予定日が近づいた頃、父が寝込み、看病の甲斐なく観劇予定当日に入院決定。数日間交代で看病していた姉も共倒れになり、気づけば病院で開演時間を迎えることに...

熱で朦朧とする姉が「宝塚、観てきて。今からでも間に合うなら私の分も..」と言うので、私は病院から猛ダッシュで向かい、息も絶え絶え大劇場へ。かろうじてショーには間に合い、ソーラン節など力みなぎる要素が満載、私の好きな翻弄される系のダンスシーンがあったり、宙組の美しいコーラスに胸が熱くなったり、澄輝さんのお姿も二階席から堪能し舞台写真等も買えて、そのおかげか、その後体調も崩さずに済んだのでした。

 

結局、父が入院して時間がぽっかりと空き仕事も順調だったので、姉を誘ったり別の日には競輪友達を誘い、ある時はこっそり一人でと、何度も『王妃の館』『VIVA!FESTA』を観に行ったのでした。笑いと美と暖かさとパワーを感じられるお芝居とショーで、どちらも良くて。そして、今までひそかに応援していただけなのに、ここへ来てファンレターを澄輝さんに送るという行動に出たのでした。(舞台の感想を言葉足らずにしたためた短めの作文のような...)

後日、郵便受けに澄輝さんからのお葉書が届いているのを見つけて、え、いつも不動産のチラシや請求書しか入っていない郵便受けが、こんなに素敵な箱に見えたことがあっただろうかと。いやぁ、こんなにワクワクしてお手紙を受け取るなんて、いつ以来だろう。雑誌のプレゼントに応募して当選した時のような、そんな素朴な喜びが蘇りました。

介護をしながら宝塚に親しむ、というのは、なんと両極端で、なんて健全なリフレッシュ法なのであろうかと。感動せずにはおれません。

 

姉と観劇した日、劇場で借りたオペラグラスを返し忘れたため、劇場に戻ったついでに、せっかくだから生まれて初めての「出待ち」をしてみたところ、その日は組総見というのか、整列したファンクラブ(会)の方たちの前へ、朝夏さん真風さん澄輝さん...宙組の人気男役さんたちが順番に続々と並ばれて...。日頃、病院や施設で超高齢者化社会を目の当たりにしすぎているせいか、眼前に発生した、若さ、美、和気藹々という要素すべてが非現実的で夢のような光景に見えたのでした。いつも介護で若さ(もはや若くないのに)を吸い取られる気がしていたのに、その場にいると逆に若さをチャージできそうな、近所の神社のご神木、大楠のそばへ行った時の澄んだ空気に似ている気がするなと...

「今まで部活動とかにも入ったことないし青春ってのがあんまりなかったから、介護がなかったら、私も思い切って会に入ったりしてあんな風に応援してみたかったかもなぁ〜フリーランスだから平日も動けるし..」とつぶやくと、姉は「いつかは出来るんじゃない?介護は永遠に続くわけじゃないし」と。

そこで気づいたのです。今目の前にいるスターさんを応援しようと思ったら、「いつか」では遅いのだと...

それからしばらく後のことでした。雪組の退団者発表や宙組のトップスター、朝夏まなとさん退団の発表...

姉との会話があっただけに、自分でもびっくりする位にショックを受けることに。

娘役さんの場合は、退団後すぐにそのままのお姿で舞台等で活躍されそうな気がして華やかな門出のイメージなのだけど、男役さんは今のお姿そのままではないし....

 

この数年、実際にはもう10年近く、親の介護や治療のために新幹線で頻繁に遠距離移動したり、高額な治療費を出したり、病院では診察待ちや手術待ち、検査待ちなどで何時間も、時には半日以上待ったり、それも連日だったりして。それらは案外ヅカファン(遠征したり、チケット代その他いろいろお金を使ったり、入り待ち出待ちしたり)に近い行動かもなと今になって思います。親の介護の場合、お茶会とかグッズ販売とか、特にときめくイベントはないですけど。

私も時と場合によってはしっかりファン活動する素質あったかも...なんて。

実際には、もっと時間的な自由があったなら、ひとり旅に出たり、ものづくりをしたり、以前のように別の趣味を楽しんでいただろうから、介護と宝塚は自分の中でワンセットなんだろうなと思うんですが、でも介護が終わったとしても、母や父の思い出(父は存命だけど)とセットになって、自分にとって憩いというか暖かなイメージのままなんだろうなと。

姉と目の当たりにしたタカラジェンヌの輝き。どなたも限りある存在だからこそ応援したくなるのだと気づくことで、今自分がそばにいるべき父の残り時間も有限で、介護は永久ではないのだと気づけました。今は父を見守り支える時だよなと。だからこそ、矛盾するようだけど、施設を利用したりして、宙組公演も出来るだけ観たいなと。姉も同居の私の負担を軽くするのを願って「どんどん観劇予定を入れて遠征にも行っておいで」と勧めてくれて。や、まぁそれは姉も働き出したので限度はあるんですが。

 

最近、苛立った時や疲れる出来事があると、2017ダイアリーの裏ポケットに入れた澄輝さんのポケットカレンダーをチラっと見るようにしていて、まさに、小さな御本尊状態なのですが、もう一方のポケットには私の心の師、ねずみ男のシビアな格言でもコピーして入れておこうと思っています。夢も大事だけど時にドライに強くふてぶてしくならねば。

以上、すんごい長文になって、知り合いの人には絶対読まれたくない内容になってしまった。いよいよクマ父(過去の記事参照)が退院して来ることで、新しい扉が開きそうな恐れと好奇心で綴ってしまいました。

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お金で買えないおもてなし。

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大人になってから、友達との遊び方は相手にもよるけれど、たいていパターン化してくるところがある。

おおまかに言って、多いのはランチと散歩、または散歩と夕食、という感じ。

散歩の中には、雑貨店めぐりがあったり、美術館へ寄ることもあるし、目的地まで、いつもは選ばない道をあえて使う路地裏散歩もあるような…。いずれにせよ、食事だけして別れることも増えては来たけれど、例え10分程度でも、誰かとぶらぶら散歩するのは楽しい。

などと思っていたけれど、この前、久しぶりにドライブに連れて行ってもらった。目的地へ送ってもらう以外に、ドライブを楽しむために山道を走るなんていうのは、ひょっとすると十年以上ぶりかもしれない。

年上の友達で、年齢だけでなく住まいも生活環境も、もともと随分自分とは違う人だけれど、それでも今までは電車で出かけて待ち合わせ、徒歩かタクシーで移動する程度だったから、愛車に乗せてもらうというのは十数年の付き合いの中ではじめてのことで、少し緊張した。どんなところへ連れて行ってもらえるのか、ワクワクもあった。

連れて行かれたレストランは、車でなければたどり着けないような山道の先の湖畔にあった。そしてガラス窓からは絶景が見えたし、ゆったり会話をしつつ素晴らしいお料理をご馳走になった。そこですべての楽しさとおいしさを堪能してしまって、その日のイベントがすべて終了したような気分になるほどだった。

店を出て、車に乗る時に、友人から「これからどうする?温泉街へ行ってみるか、さらに山の方をドライブするか、それとも来た道を引き返してウチへ来る?」と聞かれたわたしは、咄嗟に選べず目が泳いでしまった。日常とはまるで違う場所で、久しぶりのしゃれたドライブにぼーっとして、自分がこの後何をしたいか、まるで思いつかず、かろうじて、友人の新居へ訪問してみたい、という希望が口から出たというか…

来た道を帰る、というパターンは、わたしは本来好きではなく、同じ道を戻るより断然別の道をたどって戻る方が発見があるから好きで、要するに引き返すのが嫌いなのに。

それなのに、来た道を戻って友人の家へ行くという選択をしてしまって、せっかくのドライブなのにもったいなかったかな、と…

けれど、ドライブウェイでの「来た道を帰る」は、まったく別の風景を目にすることでもあると、車窓から瑞々しい緑のアーチが風に揺れて木漏れ日を通す光景を見て思い知った。そうかそうか、道を戻るのは、来た道とは左右が反対の風景というか、木の裏側を見ることになるというか、時間帯が違えば緑の濃さも変わって見えるし、同じ道でも行きと帰りはまるで違うんだなと。

そして、ある所にさしかかると、友人がふいに脇道へ車を進めた。

「少し寄り道しましょ」と、彼女は細く蛇行する道へスピードをゆるめ入って行った。

道はどんどん狭くなり、左右の木が迫り薄暗くなった未舗装の道幅の狭い山道の上り切ったところで車を停め、「あなた、今日はどんな靴を履いて来た?ああ、長靴なら大丈夫」と言って、友人は車を降りるよう促した。

「これからとっておきの、天空の秘密の場所へご案内します」

彼女は慣れた様子で、金網の扉から脇の山道をさっさと上っていった。

わたしも後に続いて急な山道の、まばらに置かれた石段や凹みをたどって上を目指した。

「さぁ、この先よ。ほら見て、わたし、夫とよくここで、おにぎり持って来て過ごすの」と彼女が指差した先に、昔日本画の授業で目にした与謝野蕪村の絵のような、そこよりさらに高い向かいの山の中腹に寺院の伽藍が並び、はるか下にミニチュアのような町並みが曇り空の下でかすんで見えるという、なんとも古風な風景がひろがっていた。ひろがる、とはいってもパノラマではなく、山頂には巨岩がいくつもあり、かつての磐座信仰を彷彿させる神秘さをたたえていた。今わたしの暮らす町には外国人観光客があふれているというのに、その山頂には観光客どころか地元の人さえ立ち寄らないような異界っぽさがあった。なんていうのか、2001年宇宙の旅の冒頭のシーンで出て来そうな…

もっと色々と眺めていたいし、その場所の由緒も知りたいし、さらに先まで進んでいって地形を確かめたかったかったけれど、車を道の途中に停めて来ただけに「一瞬で降りてきましょう」と最初に決めていたので、そそくさとわたしたちはその場を去ることになった。

おそらくもう二度とわたしはその場所にたどり着けない気がするけれども、わたしと同様に引っ越しの多い人生の彼女たち夫妻が、おそらく数年先の次の引っ越しまではその秘密の場所で時おりのんびりと時間を過ごすだろう光景は、わたしの中で勝手に日本昔ばなしのような、というか蕪村タッチで何度も再生されて、すっかり心に残ってしまった。

 

その日、家に帰り着いてからも、とっておきの場所へ案内してもらったことへの静かな感動のようなものが、ほのほのと自分の心に残り続けた。

今また引っ越しのために本を段ボールにしまったので確認できないけれど、

たしか高野文子さんの『棒がいっぽん』という作品の、巻頭の漫画(「美しきまち」だったか)に、工場の近くの社宅に暮らす夫婦が休日に、近所の山(丘?)に上ってお昼を食べる、自分たちが暮らす街を眺めながらのんびり過ごす、そんな作品があったのを思い出し、また、近藤ようこさんの『遠くにありて』では東京で暮らしたい気持ちを抱えたまま、刺激の少ない故郷で教員を続けるのが不本意でならない主人公が、やがて地元で伴侶を見つけ、東京へは戻らず地元で暮らそうと決意して下宿先を去るときに、大家さんに駅まで見送られる途中で、寄り道をして大家さんの「とっておきの場所」へ案内されるシーンでも、自分の暮らす町を見下ろせる高い所へと上る様子が描かれていたのを見返したくなった。

そうなんだ。人にはとっておきの場所があるものなんだよな。

悲しい時やさびしいとき、気分を変えたい時にそこを訪れて深呼吸するだけでなんだか大丈夫だと思えるような場所が。そして、他の誰かが弱っているのを見たとき、人は、そこへ案内して励まそうと思い立つのかもしれない。

確かに、今少し疲れていて視野が狭くなっていた今のわたしにとって、一瞬の天空の光景は、時空を超えた旅をしたような、なんだか壮大な出来事だった。

そういえば、わたしも、箱根湯本の山道を温泉宿への送迎バスで通る時に、遠い記憶の中の、大切な風景を思い出すデジャヴのようなことが何度かあったし、湯河原の道でも同じような感覚があったし、他にも鳥取と島根でも、なんだか懐かしいような悲しいような、そんな光景に出会ったことがある。でも、漠然としていてそれらが「とっておき」かどうか自信がないのだけれど。

わたしがこんなにも散歩が好きなのは、ひょっとして、とっておきの場所をずっとずっと無意識に探しているんだろうか。

今度、彼女がわたしの暮らす町にたずねて来るときには、今わたしが気に入っている場所へ案内したいと思う。でもそれは、とっておきじゃなくて、駅のホームのラックにあったフリーペーパーで紹介されていて知った、観光客も結構訪れるお寺なのだけれども。

そんなこんなで、未知との遭遇に感動の巻。

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三者面談に汗。

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入院中の父の退院の目処がたち、栄養士と薬剤師からお話があるので娘さんも同席してください、と病院から連絡を受け、指定された時間に病院へ行きました。同じ日時に母の診察も重なったので、父の方をわたしが担当することに… 

栄養士さんからは食事の指導やアドバイス、薬剤師さんからは入院後に処方されたお薬の説明とこれまで飲んでいて今後も引き続き飲むお薬の説明で、どちらも病室のベッドに患者と二人で腰掛けておとなしく説明を受ける、というものでした。

 

それらのお話が終わり、さて、その日の用事は終わったなと思って、診察中の母の方に合流して、その後の検査は姉にまかせて、とりあえず昼も食べてないしコンビニでカフェラテとチョコ菓子でも買って休憩しようかなと思ったら父担当の看護師さんから携帯に電話があり、「わたしからもお話があるのでこちらへ戻っていただけますか」と。

買ったカフェラテの飲み残しを片手に、呼ばれた談話室へ…

そこにはすでに父が腰掛けており、テーブルの上には父の病気にまつわる分厚い冊子が…

それは入院数日後から病室に置いてあり、パラパラとは見ていたものの、免許更新時の教則本みたいな感じで実はしっかりは読んでいなかったその冊子、テーブルで対面した看護師さんはおもむろに背表紙をこちらに見せるように立て中味を見えないように一ページ目を開いてらっしゃる。

なぁんか嫌な予感がするなぁと思ったら…

「それでは、退院の日程も決まりましたし、これからいくつか今回の病気について質問をさせていただきます」と。

びくぅっ。こういうの、苦手なんだけどなぁ。すがるように父を見るわたし。姿勢を正す父。

 

看護師さんは父に向かって、第一問。

「それでは○○さん。今回、ご自分が何の病気で入院されたか、その病名をご存知でしょうか。お答え下さい」

汗。わたしは症状は聞いていたものの、正確な病名が何なのかいまだに知らなかったんですが…

ぼやーっと口を開けて、半分寝ているような顔つきの、着ぐるみの熊のような姿の父が、聞こえているのかどうかわからない顔で動かないので、え、もしかして父がダメならわたしが答えるの?無理、どうしよ。心臓の具合が悪いとか、水がたまった的なことしか答えられないよぉ…

と思ったら父がよどみながら、不思議と専門用語も交えつつ答え、

「はい、正解です」と褒められた。

テキストを隠しながら、看護師さんの質問は続くのです。

「それでは、その病気には主にどんな症状がありますか。お答え下さい」

別に眉をしかめるでもなく、お地蔵さんのような表情でしばらくフリーズしたかと思うと…

「それはですね…足や顔がむくんだり、あとは、しんどいですね。それから…体重が増えました。そして血圧が…高くなりました…」

「はい、そうです」正解。その後も、どんどん問題が出されたのでした。

「では、この病気は、心臓がどのようになって起るものでしょうか。一体、からだの中でなにが起っているでしょうか」

「そうなると何が問題なのでしょうか」

「その症状は、何が原因で起ったと考えられますか」

「それでは、今まで○○さんが生活面で気をつけてこられたこと、今回もしかしてこれが病気の原因になってしまったと反省されることはそれぞれなんでしょうか」

「では伺います。そのような症状が再び起った場合は、どのような方法をとられますか」

「それでは、食事の中で一番気をつけるべきことはなんでしょうか」

「お風呂で注意する点はどういうところでしょうか」

数々の質問の中で、わたしが一番ビクッとしたのが、次の質問でした。

「では、○○さんに今回の病気にかかわるお薬をあらたに飲み始めていただいていますが、それらのお薬の効果はどんなものか理解されていますか。すべてお答え下さい。」

 

ひえ〜。こわい。

確かに、つい1時間程までに薬剤師さんから薬の説明はあったのです、副作用まで事細かく。しかし、合計10種類あり、そのうち今回あらたに出されたものは3種類だったものの、以前に出されたものと効果が重複するものもあり、途中で「まぁこれは、症状が治まったら外来で先生に相談の上で量を減らしたり飲むのをやめてもよいお薬です」とかいう備考だったり、「以前と同じお薬なんですが、これは前のブルーではなくグリーンのパッケージで容量が一粒の中で少なくなって、その代わり前は一錠だったのが今度から二錠になっています…」とかいうプチ情報があったりして、そういうのを延々聞いていると、賃貸借契約の重要事項説明を聞く時のように眠気が襲って来て、父はあきらかに途中から寝ていたはずなんですが…

 

しかしなんとかわたしもあやしい記憶をたどりつつ助け舟を出し、熊父は見事に正解を出したのでした。

上手い具合に必要なキーワードもちゃんと口にしていたし。

なんかすごい、と思いつつ、何かに似ていると思ったら、インコが飼い主の口癖を覚えていて、突然再現するあの様子だったのでした。

例えば動物園でおしゃべりする鳥にこちらが話しかけて、鳥が何か言葉を発するまでのあの変なズレというか…ああいう感じ。

少し誘い水のようなワードを耳元でささやくと、先生や看護師さんから何度も聞いたとおぼしき病気に関する注意事項や説明などを滔々と繰り返すような。情緒のこもらない言葉は、セキセイインコ等のアレそのものなのです。

 

そういえば同じようなことを別のジャンルでも父はやっていました。暇つぶしにと病室に差し入れた「懸賞付き間違い探し雑誌」 の、間違い探し自体はせずに、間違い探し用に描かれたイラスト(かわいらしい若向けの絵)をそっくりに、いや陰影を細かくリアルに描いて、オリジナルより深みとすごみが出ていたあの感じ。

そういえば昔からオードリーヘップバーンの写真などを鉛筆で精密模写していたなぁ、先生から説明を受けた話を細かく正確に覚えて口からお経のように出て来るのも、ちょっとそういう才能なのだろうか…と。

 

父がこたえてくれなければ、わたしが叱られていたかもしれないわけなので…久しぶりに頼もしくありがたく思えたひとときでした。

 

大きな病院にお世話になると、不調→検査→数値や画像で異常がなければ経過観察、異常が数値化、視角化されれば原因究明と治療、または生活指導やリハビリという流れになっていて、その前に、不調があると先に近所のかかりつけ医にお世話になるものの、検査が詳細に出来ないこともあって原因が分からぬままになって、結局悪化して救急か紹介状で大病院へ…というくり返し。

なかなか生きるのも死ぬのも大変だな…と気が遠くなりそうなワタシ。

以前、他の家族のために、自宅で医療用具を使う練習(震災や事故時の備えなどまで説明を受けたり)をしたときに、姉とふたりで看護師さんの前で実践してチェックしていただくものの、視線を感じて動きが硬くなり、ハサミの使い方だとか段取りなどが明らかに間違っていたりして、「あわわ」となるようなことがありましたが、今回のような質問にはさらに緊張します。一見ちゃんとしているように見えて人の話を半分以上聞いていない、そそっかしいのと無責任な自分としては焦るわけです。例えば連れと二人で道に迷い、通りすがりの誰かに行き方を教わる時、その説明を「相手が聞いているだろう」とたかをくくってほとんど聞かない、あの感じ。そのツケが思いがけないところで返って来るとは…

 

ああ、父のように泰然自若でありたい。

と思ったら、帰りがけに「今日はシャワー浴びてくださいね」と看護師さんに促され、足取りも重く「ついに…観念するしかないのかなぁ。いよいよ今日はシャワーしないといけないのか…」と項垂れる熊なのでした。

そういえば父は入院当初、絶対安静と医師から言われ、「僕が恐れている最悪の結果が訪れるかもしれません」としきりに口にしていたわけなのですが、それは「死」ではなく「カテーテル検査」を指していたし、カテーテル検査が思いのほか楽に終わり、ご機嫌になった父の次の不安は「大部屋への移動がこわい。覚悟を決めないと…」というものでしたし。

まるで、テレビ東京の『路線バスの旅』で旅館(民宿)宿泊を嫌がりホテルを主張する蛭子さんにダブるなぁ…

姉によると昔の父とはまったくキャラが違うそうで、昔のままだったらこんなに世話できてないわ〜とのことなので、脳梗塞や老いが良い方へ働いた好例なのかなと。

いやぁ、もはや自分の父とは思えないけど、一体誰なのかというと、身近な存在ではあるわけで。面白い熊さんだなぁ。

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介護に励む姉に捧ぐ。

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先日風邪で寝込んだ時に、咳が止まらず高熱に苦しんでいたせいか、なんとなく絶望的な気分になったわたしは、そんな気分に合いそうな一冊として、夏目漱石の『こころ』を久しぶりに布団の中で読み返したのでした。

すると、先生と下宿先のお嬢さんと親友との間の話という印象とはまったく違って、「先生」の謎めいた孤高の様子に惹かれ、その謎を探ろうとする主人公が、帰省して病気の父を見舞い、臨終が近づく数日間親族と過ごす中で「父なき後の実家や母を、きょうだいの誰が支えるのか」という現実問題にさらされ、兄や嫁いだ妹には今の暮らしがあり生活を変えるのはもはや無理だから、就職前の自由の身である「私」にそれを背負わされる空気が漂う、「両親と私」という二部にこんなに重心がかかっていたのかと驚きました。

ちょうどわたしが、姉とともに病気の両親をそばで見て、あるいは時に「看て」いるからかもしれませんが。

 

年末 に母が退院して、それからずっと体力が戻らず不調を訴え続け、三ヶ月先の予定だった経過観察や検査の予約を前倒しにして、早めに診察を受けたところ「問題無し、しんどいのは普通なので、あとひと月は徐々に回復するまでご飯をたくさん食べて頑張りましょう」と担当医に言われて帰宅して、安心したのも束の間、その翌日に今までの病気とは無縁のはずの脳梗塞になり、救急車で運ばれて入院したのでした。

前日に診察を受けていたのに…待ち時間や検査などで何時間もかかったのに…付き添った姉も、検査で長時間しんどい思いをした母も気の毒でしたが、脳梗塞だけは前もって分からないものなんですね。

 

同じ日、同じ時間、同じ病院で、わたしは父と循環器科を訪れていました。父も昨年入院した後の、9ヶ月後検診に向けての診察でした。やはり、この時点で一度カテーテル検査が必要だと説く医師に、その検査が恐怖だった父は(歯科医院のドリル?の音が嫌いな父には同種の怖さがあるらしい)平身低頭でねばってお願いして全力で拒否していました。

あまりにも父が低姿勢で(蛭子さんのような態度で)どうにか許してください…あれだけは…と言うので医師がとうとう「分かりました、では、アイソトープ検査にしましょうか。ただ、午前中から来ていただいて夕方遅くまでかかりますが」と仰ったのでした。

わたし、感心しちゃいました。医師がどうしても、と仰るものは必要なものかと思っていましたが、嫌な場合って、逃げ道があるんだなぁ、と。

以前、脚の手術が必要だと言われた際も父は全力で嫌がって断って、その後10数年経って、脚の痛みもないようなので…あの手術、受けてたらどうなっていたのかなぁと。

マイペース、鈍感力の父には色々と学ぶところがあります。

で、アイソトープ検査という最先端のものを体験できると知った父はご機嫌になり、「何時間でも大丈夫です、待つのはワタシ、平気なんです」と満面の笑みに…付き添うわたしがその日、仕事を中断して午前中から夕方まで空けることになるということには一切無頓着なんだよなぁ…と苦笑したものでした。

 

その翌日、前述の通り母が入院したわけなんですが、入院が決まるまで、救急車で運ばれてから検査を受ける間、待合室で何人か診察待ちの方と一緒に姉と二人、待機していて、そこにマスクをしないでひどく咳き込んでいる方がいて、「こわいねぇ」と(我々はマスク着用で)言っていたら、その晩から私は喉に違和感を覚え、翌日には咳がとまらずに熱も上がり、それから三日間は外出もできなかったのでした。その、熱が一番ひどい日に『こころ』を読んだのでした。

姉が新しい仕事先へ行き始めたところだったのに、通えなくなり断ることになり、入院した母関連で病院との連絡や実家に残った父の世話をひとりでしなければならないなんて申し訳ない…でもこの咳を姉にうつしたらエラいことになってしまう…悶々としながら『こころ』を呼んで、先生の自己完結する様子に苛立ちすら覚えたりしたのでした。 

 

わたしは結局、母が一般病棟へ移ってからもしばらく病院を訪れることも出来ず、実家に行って手伝うこともせずに、逆に寝ていた数日を取り戻すように仕事もしたせいで、一切を姉に任せて過ごしたのでした。

 

そして母が、奇跡的に後遺症もほぼなく無事に退院して、再発には気をつけつつ元通り日常生活が送れるとのことで、顔色も体調もよさそうだったので「ああ、ホッとしたね。まぁ何はともあれよかった」と夕食をともにして、その翌日は姉もわたしも仕事が出来て、この調子で徐々によくなってくれればと思ったのも束の間、退院2日後に母は体調を崩し、近所の先生に往診をお願いしたとの連絡を受けたのでした。

同じ日に、父が出先で体調を壊し、循環器科へ姉が連れて行き、長い時間待って検査をした結果、こんどは父が入院することになったのでした。一週間後にアイソトープ検査を受ける予定だったところだったのに…その前に倒れてしまうとは。

なんか、このところずっとずぅっと、病院を訪れているなぁ…もう去年からずっと。

二人とも、それも、ひとつの科ではなくていくつも。そして一軒ではなく何軒もの病院にお世話になっています。

両親とも、絶妙のタイミングで交互に、大きな病気→少し回復→大きな病気→結構大変→やや安定→急変、というループにはまっているような気がします。

 

ひとつ解決して安堵して、という安堵もわずか1〜2日で、長くても半月ほどしか穏やかな日が続かず、いつも突然の電話で実家や病院へ向かうことになる。

それでもわたしは体力がないのか、仕事が忙しいせいなのか、そして自転車にも乗らない徒歩行動のせいか、いつもすばやい動きをとるのはバイクに乗り短期派遣と自営の二足のワラジで働く行動的な姉の方なのです。

父が入院することになったその日、姉にとって、介護のためしばらく休職して復帰するための大事な面接の日(その直前にも決まっていた職場を母の入院でやめたのでその後見つけた先の)だったわけで…父に付き添うために、姉は面接を棒に振ったのです。

わたしはというと、往診を頼んだ母を見舞うために実家に向かったとは言え、締め切り当日だったので、2時間仕事をしてからという自分のペースで行動したわけで…

 

それにしても、不思議なことに、母の脳梗塞も、父の心臓の不具合も、原因や問題の箇所などは全く分からなかった。

分からないままに、生活習慣の改善なり、検査画像に一番あてはまるであろう薬の服用で様子をみる、ということで、また帰宅することになるのです。

 

不思議といえば、そんな状態なのに、兄が帰省すると、病人だったはずの母が布団も干して(指示を受けた姉が干すのですが)はりきってビールを用意して料理も腕を振るってもてなすそうなので…ふーん、世話をする係と王様扱いされるものと、その差って何。男女だけの差じゃないよなぁと、イラッとします。

もちろん、家族だからって世話をするのが当然なわけじゃないし、兄は会社員だし休めないし遠くに住んでいるんだから…とは思うんだけど私も姉もフルタイムで働かねばならない身で、私は親のために地元に戻って来たんだけれども。兄は友人がいるし地元を長く離れたからいまさら帰れないし、とか言うし。う〜ん。そんなことを考えるにつけ「こころ」の二部のことをつらつらと思い出すのであります。

 

この前久しぶりに姉が仕事の合間にわたしのブログを読んだそうで、そこにある家族の病気の話などで、「いろいろお互い大変だったねぇ」と思い出し、ねぎらってくれた。

 

今日のブログは姉のために書きました。とかいいつつ、自分の愚痴のはけ口にしちゃいました。

姉と温泉にでも行ける日が来るといいなと願うことは、ふと、縁起でもないことなのかもしれないと思いつつ、「あ、まぁ緊急時に1時間半くらいで帰れる場所なら行ってもいいか〜」と思い直しました。はは。

ずっとこんな状態なので、もし私の知り合いの方がこれを読んでも、どうか負担に思わないでください。ああ、また親御さん大変ね〜くらいで。見て見ぬ振り的なアレで…

プリーズ。

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コースタートレイの件。

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小田原城址公園に天然記念物のイヌマキとビャクシンという巨木があり、ねじれた幹の味わいやダイナミックさや樹の色、枝から葉にかけてのうねり、反り返ったような動きのある姿が好きでした。

それ以前に好きだったのは、鎌倉の鶴岡八幡宮建長寺のビャクシンで、今も、住まいからほど近い神社境内で枝を大きくひろげている樹齢900年という大楠(前の歩道を越え、二車線の道路の空を3分の1ほど覆うような)を慕っています。

旅先でも巨木に出会うと5分くらい、色んな方向から眺めるようになりました。

皇居の前の松はチアリーダーがポンポンを振るような勢いが可愛らしく、京都の北山杉は心がすぅっと、メントールの香りに浸されたような気分になる光景というか(花粉症なので大人になってからは少し違う印象に塗り替えられたが…)、桜は一見完璧で美しい木なのに、近づいてみると、ものすごく意外な場所、失敗したんじゃないのか、という幹の途中で個々の花が「うっかり」っぽく咲いていたりするのが面白いし。

ああ、木って、いいなぁ。不思議だなぁ。

自分の暮らしのすぐそばに、いつも大きな木があったらなぁ。そう思うと必ず脳裏をよぎるのが佐野洋子さんの絵本、『おぼえていろよおおきな木』。

そうだな、少し離れた場所に立っていて、時々眺めるくらいがよいのかな。

 

とはいえ、立っている木に惹かれる気持ちと、木工品を好む気持ちはイコールではなくて、おそらく木のスプーンなどを使いたがるのは、アニメ「アルプスの少女ハイジ」の影響かな、と。

また、木工作家さん制作の額を買ったり注文して使うようになってから、木によって色、風合い、木目、質感、硬さなどが違うことも分かってくると、その奥深さに惹かれ、良いもの、丁寧に作られたものを見ると、他で安く売られている木製品との違いが、なんとなく分かるようになりました。分かった上で、安物を買うことはあるものの…

 

そんな感じで、木が好きなわたしでありますが、友人の木工作家の奥田さんに「こんなものが今欲しくて」とお話ししたことからはじまった、コラボレーション「issho」シリーズ。暮らしと一緒に、木と一緒に、という気持ちもこめて。

最初に作っていただいたのは、電気工事の方とか、そのようなお客さんにちょこっとお茶を出すときに、アルフォート的な菓子を添えることが出来るスペースのあるコースター、もしくは、宅配便の代金引き換え払いの際、小銭やお札をのせるトレイ、です。

美容室などでカラーやパーマの間に飲み物を出してもらえる、あのトレイというか。でも、飲み物やお砂糖、スプーンだけのせるんじゃなくて、しょうゆ差しや七味入れも置けるものがよいと。サイズも大き過ぎない方がよいと。

 そのように、色々と個人的な希望をこめて伝えて、改良を加えながら制作していただきました。

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奥田さん制作の木のスプーンは、指にあてたときの木の丸みがよく、ヨーグルトなどを食べると舌の上でほわん、と優しい質感に和むのですが、そのスプーン(小)にも合うサイズ感です。

iichさんのサイトで発売中です。

ISSHO コースタートレイ 作品詳細 | FQ DESIGN/OKUDA | ハンドメイド通販 iichi(いいち)

isshoシリーズにはコースターの他にアクセサリーもあるのですが、おすすめは、奥田さんのFQDESIGNオリジナルの木のおさじです。木による色、風合いの違いがよく分かって、自分ならどれがよいだろうかと迷います。わたしの好みはヤナギ、ミズナラ、クルミですが、コースタートレイには鬼グルミを使用。

そんな、木の件、あれこれでした。

www.iichi.com

 

 

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広告とは何ぞや。

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もともとラインスタンプの宣伝のためにはじめたこのブログ、ネットで調べて作ったバナー広告も載せてみたりしたけれど、へぇ〜びっくりするくらい意味がないんだなぁ広告って、と思いました。

たまたま検索上位に来る記事があって(見舞いに何を持って行くかという内容の)、その関係でいつも600くらいアクセスがあるようですが、月に売れるスタンプはというと数個程度。その数個もブログ経由で売れているとは限らないので、広告効果はほぼゼロなんじゃないかなぁ…

 

自分だって普段テレビや雑誌や外出先で目にする広告を「目に入っているのに見ていない」状態なので、そりゃそうだわな、と。ただ、広告の効果というのは、自身の気持ちとは関係なく気づかないうちに刷り込まれていることがあるもんだと実感した出来事が…

 

仕事で手描きの作業は食事用テーブルを使うので、昼のサスペンス再放送をつけていたりするんですが、合間に通販のCMが何度も流れて、一時期多かったのが「数の子松前漬け」のCM。仕入れ担当の年配男性が松前漬け(通常の味付けと白醤油の2種)を紹介し、通販会社の女性の声に大増量をせまられ、「し、白醤油も〜?」と困るやり取りを見飽きるくらい目にしながら、「またこれやってる」「量が多過ぎるんじゃないか」と思う程度だったのに、数ヶ月後…

「青天の霹靂が食べたい」という、漫画家さんのツイートだったかを見かけて、

「また風変わりなギャグを仰ってるなぁ」と思っていたら、その後ニュースや情報番組で青森のブランド米だと知り、「へぇ〜、あれ、ギャグじゃなくて実在する『青天の霹靂』という名前のお米だったのか」と驚いて記憶に残った。

そんな矢先、ちょうどお米がなくなりかけて、それと同時に、仕事とは別の臨時収入があった。ちょっとプチ贅沢をしたくなり、そうそう、この際に「青天の霹靂を食べようか」となった。そして早速買えるところを探してみたところ…青森のスーパーのオンラインストアを見つけ、感じがよさそうなラインナップの中の、「しじみラーメン」と、ねぶた祭りの絵柄が印象的な「ねぶた漬け」という商品とともに買い物かごへ…

 

いやぁ。ねぶた漬けって、いわゆる松前漬けなんですよね。

長い間テレビのCMで見ていた時には「またこのCMやってる。また白醤油も〜とおじさんが困っているわ」と思ってスルーしていたのに、いつの間にか、松前漬けが食べたい気持ちが蓄積していて、ひょんなタイミングで、そのCMの会社とは別の会社のものを買ってしまうなんて…それも、大と小があって、一人暮らしなのに二袋の大の方を買っていた。二袋もどうすんの、自分。数の子が特に好きなわけでもないのに…

 

さて、別の話。

先日、入院中の母を見舞うとベッドの上で首だけ起こしながら「あのね、相談があるんだけれど」と切り出されてドキッとしたんですけれど。

先のことをつい考える仕切り屋の母からは、何度かもしもの時の保険会社や銀行などの手続き関係などの説明を受けていた流れから、またその手の話かと身を乗り出したら…

 「今朝、ラジオで蟹の宣伝をしていて。漁業組合から直接送ってくれて、量も多くて9800円だって。目利きが選んでいるから確かだって。電話番号を控えたんだけれど、これから注文しようかしら。どう思う?」

 

とのことでした。個室にいて、携帯電話も使える状態だからといって、いや、そういう状態?

結構貧血がひどくて点滴をしたり、心配な状況で入院したはずだったんですが、その発言を聞いて、脱力してしまいました。

「何度かね、ラジオでやってるのを聞いているとね、ああ、今買わないとってね。漁港直送で新鮮でお得で量もたっぷりあると思うからよさそうなんだけど…どう思う?9800円だって。」

ラジオってすごいんだな。カニの絵も見ていないのに、ここまで購買欲をかき立てることが出来るなんて。

いや、ベッドの上で寝ているからこそ、通常とは違う波長?で広告が訴えかけてくるものなのかもしれない。

水木しげるさんの漫画に「小豆洗い」という妖怪の話があって、彼に人間の文明を知らせ、人類と同化させて幸せにしようと、妖怪保存協会の山田氏が銀座へ案内し、「テレビにはなんでも映るんだ」とコマーシャルを見せ、「宣伝とは何か」を伝えたところ、小豆洗いは「なんだ、やたらに頭を混乱させ人を欲求不満にさせるのが文明ってもんかい」とつまらなそうに言い捨てるんですよね。その漫画が大好きなんですが。

しかし、多少なりとも生死について思いをはせる場面にいて、カニの通販に惹かれて番号を控えるという行動に、なにか得体の知れないパワーを感じるというか。カニというのは殻をむかねばならない。その後は大量の殻を捨てねばならない。カニが梱包されていた発泡スチロールの処分だって結構面倒だ。そんな手間のかかる食べ物にチャレンジしようと思う、その気力、すばらしいなぁ。

病人を見守る立場からすれば、ラジオCMに感謝したい気分でした。

それ以降、仕事中にラジオCMでカニ特集の通販が耳につくようになったんですが、確かに氷の重さを入れずに何キロ!、雑炊でいいダシが出ますよ〜とかいう宣伝文句が細かい。 

毎年私がカニ注文担当でありスポンサーなので、その、番号を控えたラジオ通販のものは一応日程的に却下して、自分が慣れている会社で頼むことに。しかし、今ブログに書いた流れで自分が聴いたラジオCMの会社のサイトを見に行ったら…たしかに心が揺れる。量が多い。

 

 ところで、ラインスタンプの売り上げを見に行ったら、今日2個も売れていた。何週間も売り上げゼロで、あぁ、もうとうとう終わったなと思ったら、まだ買ってくれるひとがいるなんて。一体、どういういきさつで売れたのか不思議だ…

このブログが関係しているとは思えないけれど…やはり広告の効果なのか?

そんなこんなで、ブログのタイトルをこのまま続けたものか迷いつつ、というか実のところラインスタンプのことは興味を失いかけているくせに、たまに売れると嬉しくなって(一個売れても40円前後、さらに後で手数料等引かれるらしい、のでもはやお金云々のハナシではなく、「いいね!」ボタンや「リツイート」数みたいなものだろうか。無反応か、反応アリかの違いというポイントで)「ほほぉ」と口角があがる、そんな年末です。

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熊の暮らし。(2)

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以前、熊の暮らしという題で、脳梗塞(大動脈瘤の手術)以降性格が変わり、感情が少なくいつもぼんやりしていて、食べる様子や寝姿、テレビを観る姿が着ぐるみの熊のように「ゆるキャラ化」した父のことを書きました。

コミュニケーションが取りづらくなったとか、喜怒哀楽が希薄に…というような話も書いたのですが、その後、感情が復活&安定してきて、例えば阪神タイガースの試合を熱心に観るようになり、打線がふるわないと怒り、ピッチャーが打たれては怒り、逆転したら拍手をし、3点以上勝っていれば無言になり、一点差に詰め寄られると憤慨、というような、かつての姿に少し近づいて来たのです。

認知症などを含め、脳の疾患は改善が難しいと思っていたのですが、脳の可能性って、もしかしたらまだまだ未知の部分が多いのかも。

阪神戦を心待ちにして感情豊かに観戦する(阪神の試合が放映されない日は、巨人の試合を見て、巨人の対戦相手を応援しながら、途中の他球場リポートを待つ程の熱心さで)父を見ていると、劇的に良くなることもあるんだなと。いや、阪神に対しての愛が戻るということは、同時に阪神の選手をボロカスにこき下ろすことでもあるので、人間性としてそれが良いかどうかはまた別問題なんでしょうが…

いずれにしても、感情が豊かになるということは、アンテナがあちこちに張り巡らされて活発になるということなのかもしれません。

 

この半年ほど、熊と化した父は巻き爪の治療でバスで30分程の駅前の皮膚科へひとりで通っている。

その行き帰りに、「つけ麺」の看板を見つけて興味を持ったらしい。

しかし最初に見つけたときは余分なお金を持っていなかった。

次に見かけた時には、「定休日」もしくは「準備中」で閉まっていた。

巻き爪の治療は月に1〜2度。

次に皮膚科へ出かけた時には、炎天下で大変な行列だったので諦めた。

その次に出かけた時、今日こそはと思っていたが、その日文具店でスティック糊を買い、思いがけず糊が高かった。その時点で財布の残金は1,000円を切った。

その日もつけ麺の店前には行列ができており、熊も一応並んだが、その店にはメニューや料金表などが一切出ていない。店から出て来た若い男性に思い切って声をかけてみた。

「ここのラーメン、おいくらですか」

すると男性は答えた。「まぁ、850円あれば足りるんじゃないッスかね」

熊はそこで不安になった。財布には900円はあったが、頼み方によって、もし足りなくなったら恥をかく。それは嫌だと思った。

その日は諦め、翌月の通院時に望みをかけることにした。

 

ーという話を夏に聞き、熊の、数ヶ月に及ぶ「つけ麺への挑戦」に驚いた。

「なんで、そんなにそこのつけ麺が食べたいの?」わたしが尋ねると、

「いつも行列が出来ているから、どれだけおいしいのかと思って。そしてメニューが出ていないから、どんなもんかと思って。たぶん、頑固な職人気質の店主に違いない」

ほほぉ〜、すごい。週に二回、デイケアでリハビリを受けている父が…

 たった一人で若者に交じって行列する覚悟でつけ麺を目指し、何度もチャレンジしていたなんて。

 

それから半月以上経ち、「その後、つけ麺は食べた?」と聞いてみると、「こないだは、あまりにも行列がすごかったから諦めた」との返事。

メニューなどは一切ないが、店先には傘が何本か置いてあり、客は傘を差して日射しを避けて待っているらしい。

わたしなら、そんな行列面倒くさいが、しかし、いつの日か熊がつけ麺チャレンジを成功させることを祈っているのです。

 

この連休中、家族の中で怪我人が出た(救急車を呼ぶ程のことではないが、放置しておくと数日で悪化する心配があった)ため、タクシーを呼んで救急外来へ向かうことになり、阪神の試合を見ている熊の背中に、「これから病院へ行って来るから、留守番よろしく」と告げると、振り向いて「心配やね。悪かったら大変だ…」としょんぼりした顔をした次の瞬間、画面に向き返り「阪神はアカン。優勝出来んわこれでは」と言い出した。

「お・と・う・さん。これから病院行くから、夕食そこにあるから忘れないでね」

「ああ、心配やなぁ。大事に至らなければよいけれど…」というセリフの数秒後に、

「バンバンの『いちご白書をもう一度』は、スナックのママさんが一番声に合ってると褒めてくれた」と。

その脳…一体どうなってるんでしょうか。

列車の線路の切り替えポイントみたいなもんでしょうか。お〜い、今の話どこ行ったんや〜、と、吉本新喜劇ばりにずっこけそうになってしまう。

姉はそんな熊の言動を面白がり、口元を抑えながら笑うのです。すでに、ファンレベル。

 

その熊氏。なぜか夏の間、ピンクや水色のおしゃれなTシャツを着ていたり、ポールスチュアートの洒落た柄のシャツを着てデイケアに出かけたりしていた。年齢と風貌に似合わない高価そうなそれらは全部、たぶんいただきものなんだろうけれど、ピンクのTシャツの時にはゆるキャラ度が倍増して直視出来ない。

 

今、身内に重病の患者がいて、その治療のことで色々と手を取られている間に、熊のことがどうしてもほったらかしになってしまうのですが、その間熊さんは自立して自分の世界を豊かにしていたということか。

「つけ麺」やら「ファッション」やら「歌手のクリスハートさん」やら「いちご白書」やら、色々と。

いずれにしても、「のほほん」気分をおすそ分けしてもらえて、苛立つ時や落ち込んだ時にこそ、熊と「トンチンカンな、どこまでも噛み合ない肩すかしの会話をしたい」と思うのであります。

姉もですが、わたしも、もはや父としてではなく、熊さんを我らのアイドルだと思っています。それは蛭子能収さんを楽しむ、というような意味で、ですが。

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